人気ブログランキング | 話題のタグを見る

東千代之介(1926~2000)

東千代之介(1926~2000)_f0368298_19513370.jpg

東 千代之介(あずま ちよのすけ)

俳優
1926年(昭和2年)〜2000年(平成12年)

1926年(昭和2年)、長唄の六代目杵屋弥三郎の次男として、東京府東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に生まれる。本名は、若和田 孝之。5歳から長唄をはじめるが、歌舞伎俳優の尾上鯉三郎が伯父だったことから俳優を志すようになる。1938年(昭和13年)、初代花柳徳太郎に師事し、日本舞踊を習う。1945年(昭和20年)7月には応召するが、間もなく敗戦。復員後は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)邦楽科で学ぶ一方、藤間勘十郎や坂東蓑助(後の8代目坂東三津五郎)らに師事して日本舞踊の振付けを学んだ。1952年(昭和27年)、坂東流の名取となり、"坂東伊三郎”の名で踊りの師匠となる。1953年(昭和28年)、名古屋で稽古中、踊りのできる若手を探していた東映中部支部長・竹本元信の眼に止まり、その誘いで翌年に東映へ入社。マキノ光雄の命名で"東千代之介“を芸名とし、映画『雪之丞変化』(河野寿一監督)でデビュー。本作でいきなり主役に抜擢されたが、作品は大ヒットとなった。その後、中村錦之助(後の萬屋錦之介)とコンビを組んだ『笛吹童子』『里見八犬伝』『紅孔雀』がいずれもヒット。昭和30年代前半には『侍ニッポン』『美女と怪竜』『夕日と拳銃』『鞍馬天狗』『佐々木小次郎』など年間10本に近い主演作を持ち、踊りで鍛えた端麗な容姿と軽やかな身のこなしで、中村錦之助(後の萬屋錦之介)、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金時代を築いた。しかし、昭和30年代後半になると主演から外れることが多く、早い時期から東映製作のテレビ映画に出演することが多くなる。さらに、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため、これに反撥し、中村錦之助、里見浩太朗らと1965年(昭和40年)に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成して副代表になった。このほかにも、岡田には長年ギャラを値切られ続け、一年干された挙句「キャバレーに出るなら世話してやろう」などと言われ、堪忍袋の緒が切れたといわれる。しかし、後援会長の座館経営者から「赤旗を振るようなことがあったら会長を退くから」と叱られて副代表を辞任。同年11月には東映を退社した。私生活では、同年11月30日に女優の千之赫子とお見合い結婚。金銭関係や男女関係・違法行為などにまつわる不祥事とは全く無縁の人物でもあり、常に腰が低く、子供を含めたファンやスタッフへも親切かつ丁寧に対応する常識人な人柄とクリーンなイメージはスタッフからの厚い信頼にも繋がり、東映を離れた後も、主に東映や東映系のスタッフが制作に関連する数多くの映像作品で出演依頼を受け、重要な役どころを演じ続けた。1972年(昭和47年)、日本舞踊の若菜流を興し、"三世若菜伊三郎”として日舞教授として踊りを教える。1979年(昭和54年)、スーパー戦隊シリーズ第3作『バトルフィーバーJ』で、バトルフィーバー隊の司令官・倉間鉄山将軍として不定期ながらレギュラー出演。劇中では、主人公の若者たちを厳しく鍛えつつも愛情深く見守る重要な役どころで人気を博し、また自身が立ち回りを繰り広げる場面も用意された。これ以降、スーパー戦隊シリーズを含む東映の子供向け特撮作品においては司令官など“主人公たちの後ろ盾”という重要な役柄で著名な中堅・ベテラン俳優の出演枠が度々設けられた。1985年(昭和60年)、赫子と死別。1987年(昭和62年)、弟子と再婚。後年もテレビ番組『クイズ面白ゼミナール』に「東千代之介チーム」リーダーとして準レギュラー出演したり、林海象監督の映画『ZIPANG』では達者な名古屋弁をしゃべる徳川家康役を演じ、NHK朝の連続テレビ小説『京、ふたり』などで健在ぶりを見せたが、1993年(平成5年)に脳梗塞で倒れてからは踊りに専念した。1996年(平成8年) 、第6回日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞を受賞。2000年(平成12年)11月9日午前5時33分、左心不全と慢性腎不全のため東京都新宿区の病院にて死去。享年74。


東千代之介(1926~2000)_f0368298_19513385.jpg

東千代之介(1926~2000)_f0368298_19513588.jpg

東千代之介(1926~2000)_f0368298_19513477.jpg

東千代之介(1926~2000)_f0368298_19513528.jpg

萬屋錦之介、大川橋蔵とともに戦後の東映時代劇の黄金期を支えた東千代之介。端正な顔立ちと日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、その漂う気品さは晩年まで失われることはなかった。一方、映画スターでありながら仕事を選ばないことでも知られ、殊にスーパー戦隊シリーズ『バトルフィーバーJ』で、バトルフィーバー隊の司令官・倉間鉄山将軍役を演じたことは、今なお語り草となっている。歌舞伎出身者が多い時代劇スターの中で、日本舞踊界からデビューした異色の美剣士スター・東千代之介の墓は、東京都新宿区の専福寺にある。墓には「若和田家之墓」とあり、右側面に墓誌、名刺入れに「東千代之介 千之赫子」、花立てに「若菜伊三郎」の名が刻む。戒名は「映徹院釋深照」。

by oku-taka | 2026-02-04 19:54 | 俳優・女優 | Comments(0)