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安岡章太郎(1920~2013)

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安岡 章太郎(やすおか しょうたろう)

作家
1920年(大正9年)〜2013年(平成25年)

1920年(大正9年)、高知県高知市帯屋町に生まれる。父方は、安岡正美(覚之助)や安岡正定(嘉助)などの土佐勤王党員を多く輩出した土佐藩士の安岡家であり、幕末は板垣退助率いる土佐藩迅衝隊に加わり戊辰戦争を戦った勤皇家であった。父は陸軍獣医官であったため、生後2ヶ月で千葉県市川市に転居。その後、香川県善通寺市、東京府南葛飾郡小岩(現在の東京都江戸川区)、市川市で過ごした後、5歳の時、一家で京城(現在のソウル)に移った。小学校3年の時、青森県弘前市に転居。小学校5年から東京・青山、目黒などで育った。青南小学校から第一東京市立中学校に入学するが、素行不良のため、教師の実家であった禅寺(赤羽道藩山静勝寺)に寄宿生活を強いられる。この生活は3年に肋膜炎を患うまで続いた。1939年(昭和14年)、旧制高知高等学校を受験するが失敗。浪人生活を城北高等補習学校で送り、古山高麗雄ら浪人仲間と日々遊び歩いた。1940年(昭和15年)、松山高等学校や山形高等学校の受験に失敗し、1941年(昭和16年)に当時定員割れを起こしていた慶應義塾大学文学部予科に入学する。1944年(昭和19年)、学徒動員で陸軍に召集され、東部第六部隊へ入営。満州・孫呉に在った歩兵第1連隊に配属された。部隊では射撃の最優秀兵であったが、「銃の手入れが悪い」と叱責される模範的でない兵隊であった。同年8月、部隊はフィリピンのレイテ島に移動することになったが、安岡は出発する前々日に発熱。胸部疾患と診断されて入院となった。一方、安岡を除いた部隊は、同年10月から始まったレイテ島の戦いに投入されて全滅し、安岡は数少ない生き残りの一人となった。1945年(昭和20年)、肺結核で除隊処分。内地送還され、神奈川県藤沢市に住む。戦後に復学するも、陸軍少将の父は敗戦により失職し、復員後も公職にはつけなかった為、家族は収入のほとんどを失った。さらに、結核菌による脊椎カリエス(結核性脊椎炎)を患い、大きな肉体的・精神的苦痛の中で1948年(昭和23年)に英文学科を卒業する。その当時、コルセットをつけながら吉行淳之介や阿川弘之と盛り場などを遊び歩いたが、1949年(昭和24年)に脊椎カリエスが悪化し、コルセットをつけて寝たきりとなる。こうした状況下で真剣に自殺を考えるようになるが、病床で死と向き合いながらうつ伏せのまま原稿用紙に向かい、少しづつ小説を書き溜めていく。1951年(昭和26年)1月、レナウン研究室の服装雑誌の翻訳係嘱託となる。同年6月、「ガラスの靴」を「三田文学』に発表。同作が第25回芥川賞の候補作に選ばれ、三浦朱門、吉行淳之介、小島信夫、近藤啓太郎、服部達、遠藤周作らとともに「第三の新人」とよばれた。1952年(昭和27年)には『宿題』が第27回芥川賞候補作に、『愛玩』が第28回芥川賞候補作となり、1953年(昭和28年)に『悪い仲間』『陰気な愉しみ』で第29回芥川賞を受賞した。1954年(昭和29年)、脊椎カリエスが快癒。以降、意欲的に創作活動へ取り組み、1959年(昭和34年)には母の死から発想した『海辺の光景』で芸術選奨と野間文芸賞を受賞した。1960年(昭和35年)11月、ロックフェラー財団の招きにより米国に留学。公民権運動たけなわのテネシー州ナッシュビルに滞在し、ヴァンダビル大学文学部で聴講。翌年に帰国し、その経験を『アメリカ感情旅行』としてまとめる。その後も米国に対する関心を深くもち、アフリカ系アメリカ人の先祖を探った作品『ルーツ』(アレックス・ヘイリー著)の翻訳も発表した。一方、『志賀直哉私論』などの文学論のほか、社会的発言も積極的になり、1970年代からは『放屁抄』などの自在な短編を書くとともに、『私説聊斎志異』ではエッセイとロマンを融合させた作風を示した。また、批評家としても文壇の評価が高く、芥川賞をはじめ大佛次郎賞や伊藤整文学賞選考委員も務めた。1967年 (昭和42年)、『幕が下りてから』で第21回毎日出版文化賞を受賞。1974年(昭和49年) 、『走れトマホーク』で第25回読売文学賞小説賞を受賞。1976年(昭和51年)、第32回芸術院賞を受賞。同年、芸術院会員に選出。1981年(昭和56年)、錯綜する歴史資料との格闘を通して、幕末の安岡家を描いた長編歴史小説『流離譚』を刊行し、第14回日本文学大賞を受賞。1985年(昭和60年)、三田文学会の理事長となる。1988年(昭和63年)、遠藤周作に影響を受け、カトリックの洗礼を受ける。1989年 (平成元年)、『僕の昭和史』全3巻で野間文芸賞を受賞。1991年 (平成3年)、『伯父の墓地』で川端康成文学賞を受賞。1992年(平成4年)、長年の業績が認められて朝日賞を受賞。1996年 (平成8年)、『果てもない道中記』で第47回読売文学賞随筆紀行賞を受賞。2000年(平成12年) 、母方の家系をたどった歴史小説『鏡川』で大佛次郎賞を受賞。2001年(平成13年)、文化功労者に選出。2013年(平成25年)1月26日午前2時35分、老衰のため東京都内の自宅で死去。享年92。


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「第三の新人」の代表的な存在として、『海辺の光景』や『悪い仲間』といった作品を発表した安岡章太郎。特に、土佐の郷士だった自らの一族のルーツをたどって明治維新の動乱を描いた歴史小説『流離譚』は、約6年をかけて書き上げた渾身の作品となった。かつて村上春樹が、戦後文学の中で最も上手い作家として安岡の名を挙げていたが、「第三の新人」が行動派の多い作家の集まりだっただけに、安岡は比較的目立たない存在となってしまった。挫折と孤独、そして自らの心の動きを作品として描き続けた作家の墓は、東京都世田谷区の松陰神社にある。墓には「安岡家之墓」とあり、右側面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2025-12-30 20:45 | 文学者 | Comments(0)