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吉原幸子(1932~2002)

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吉原 幸子(よしはら さちこ)

詩人
1932年(昭和7年)〜2002年(平成14年)

1932年(昭和7年)、東京府東京市四谷区に生まれる。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。東京都立第十高等女学校(現在の東京都立豊島高等学校)時代には演劇・映画に熱中したが、国語教師で後に詩人となる那珂太郎の奨めで、校内文芸誌『果樹園』に詩作「考へ方」「星」ほか3篇を発表した。一浪の後、1952年(昭和27年)に東京大学文科二類(現在の東京大学文科三類)へ入学。在学中は演劇研究会に在籍し、ジャン=ポール・サルトルやベルトルト・ブレヒトなどの現代劇に出演。1956年(昭和31年)、東京大学文学部仏文科を卒業し、初期の劇団四季に入団。江間幸子(えま さちこ)の芸名で第6回公演のアヌイ作『愛の條件 オルフェとユリディス』にて主役を務めるも、同年秋に退団。1958年(昭和33年)12月、黒澤明の助監督であった松江陽一と結婚。1961年(昭和36年)3月には長男を出産するが、1962年(昭和37年)2月に離婚。同年、那珂太郎を通じて草野心平を紹介され、歴程同人となる。1964年(昭和39年)5月、第一詩集『幼年連祷』を歴程社から350部を自費出版。これが思潮社社主の目にとまり、第二詩集『夏の墓』を思潮社から出版した。同年、吉行理恵、工藤直子、新藤凉子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人と8人でぐるーぷ・ゔぇが(VEGA)を起ち上げ、詩誌『ゔぇが』を刊行。1965年(昭和40年)、『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を受賞。1974年(昭和49年)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞を受賞。この頃より、諏訪優、白石かずこ、吉増剛造らと共に、詩の朗読とジャズのセッション、舞踊家・山田奈々子との公演など、詩と他分野のコラボレーションを手がけるようになる。1978年(昭和53年)、アイオワ大学に招かれて渡米。4か月滞在する。1983年(昭和58年)7月、新川和江と共に季刊詩誌『現代詩ラ・メール』を創刊。通巻40号を以て終刊するまで、広く女性詩人や表現者の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には鈴木ユリイカ、小池昌代、岬多可子、高塚かず子、宮尾節子らがいる。しかし、1990年(平成2年)頃から手の震えなど身体の変調を来し、1994年(平成6年)にパーキンソン症候群と診断される。1995年(平成7年)、新川和江によってまとめられた最後の詩集『発光』を出版。同年、第3回萩原朔太郎賞を受賞。2001年(平成13年)、自宅で転倒し、大腿骨頸部を骨折して入院。同年11月末には半蔵門病院に転院。何度かの危篤状態をもちなおしていたが、2002年(平成14年)11月28日午後、肺炎のため死去。享年70。


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透明感ある言葉ながら、鋭い表現で愛・裏切り・孤独をテーマとした詩を創り続けた吉原幸子。その詩に魅せられた人は今なお多くいるそうで、作詞家の松本隆もその一人だという。詩人としての活動はもちろんだが、その一方では女性詩人を支援する活動にも力を注ぎ、新宿の自宅を女性詩人のために「ラ・メール水族館」として開放し、詩の世界における女性の活躍の充実を図った。晩年はパーキンソン病との闘いを強いられ、自由な活動ができなかったことは、おそらく本人が一番悔しがっていたことであろう。吉原幸子の墓は、東京都杉並区の龍泉寺にある。アパレルメーカー「三陽商会」の創業者である次兄の墓域に建てられた洋型の墓には、生前最後の詩集『発光』の中にある「散歩」の最終節「歩き疲れて うとうと眠れば 波の鐘がかすかに鳴って 二十四時間 の次は すぐ永遠だが 吉原幸子」の自筆が、背面には墓誌が刻む。戒名は「文藻院詠道幸雅大姉」。

by oku-taka | 2025-11-09 19:31 | 文学者 | Comments(0)