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押阪忍(1935~2024)

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押阪 忍(おしざか しのぶ)

フリーアナウンサー
1935年(昭和10年)〜2024年(令和6年)

1935年(昭和10年)、岡山県津山市に生まれる。5人兄弟の末っ子だったが、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くしたことから、小学校3年生の頃より父と二人の生活を送る。岡山県立津山高等学校を卒業後、立教大学経済学部に入学。在学中は父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めていたが、次第に学業がおぼつかなくなり、出羽海部屋を出て住み込みの家庭教師をしたり、夜警(ガードマン)や教会に住み込んだり、靴磨きのまねごとをするなど、色々な仕事を体験した。一方、話す言葉に中国地方の“なまり”があり、時に友人から「かっぺ」と言われていたことから、それを直そうと放送研究会に入部。就職活動は新聞社か放送局を受けてみようと決めた矢先に結核を発症。そのため1年留年し、1958年(昭和33年)4月に開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(後のNETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。1963年(昭和38年)、タレントの栗原アヤ子と結婚。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、「東洋の魔女」と呼ばれ金メダルを獲得した全日本女子バレーのベンチリポートなどを担当した。1965年(昭和40年)、日本教育テレビを退社し、民放出身で初のフリーアナウンサーとなる。同年より、TBS「日曜劇場」のタイトルクレジットコールを担当。同番組内では東芝の家電製品のインフォマーシャルも担当し、1970年(昭和45年)からは日本テレビ製作のクイズ番組形式のトーク番組『東芝ファミリーホール特ダネ登場!?』の司会を務めるなど、松下電器(現在のパナソニック)の泉大助、日立の高橋圭三と共に“家電CMの顔”として親しまれた。1971年(昭和46年)、個人タレント事務所「エス・オー・プロモーション」を設立。1972年(昭和47年)5月、TBSのクイズ番組『ベルトクイズQ&Q」の3代目司会者に就任。視聴者との絶妙な掛け合いが好評となり、約10年半にわたって司会を務めた。その後も、司会者として『マチャアキ!するぞー びっくり大喜劇』(フジテレビ) 、『メロディアタック』(朝日放送) 、『謎のカーテン!?』(日本テレビ)、『いい旅、ときめき本線~チャレンジ20000km~』(フジテレビ)、『日本全国ひる休み』(フジテレビ) 、『一発逆転!!げんてんクイズ』(読売テレビ) に出演。また、ユニリーバ・ジャパンのマーガリン「ラーマ」のCM『奥様インタビュー』にインタビュアーとして出演。押阪が街頭の主婦に「ラーマ」を試食してもらい感想を聞くCMが、押坂の上品な語り口と一般の主婦の感想を放送する斬新さで話題となり、長きにわたってインタビュアーを担当した。1993年(平成5年)、妻が難病「肺スエヒロタケ感染症」を発症。献身的に看病し、1994年(平成6年)には闘病生活を綴ったエッセイ『ときには翼を休めて』を出版した。同年、「押阪忍のトークアカデミー」を開設。後年は同校の校長としてアナウンサーや司会者の養成を行うなど、後進の指導に力を注いだ。2009年(平成21年)に大腸癌、2017年(平成29年)に腹部大動脈瘤の手術を受けたが、活動は継続。しかし、2023年(令和5年)頃から病床につくようになり、東京都内の老人ホームに入所。晩年は誤嚥性肺炎のため、胃ろうでの栄養摂取を行っていた。2024年(令和6年)6月29日、老衰のため死去。享年89。


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民放出身のフリーアナウンサー第1号として知られる押阪忍。正統派ながらにソフトで軽妙な語り口がお茶の間にウケて、1970年代はあらゆる番組で司会を務めた。特に『ベルトクイズQ&Q」では、視聴者との絶妙な掛け合いから約10年半も司会を担当するほど好評を博し、後にアニメ『ちびまる子ちゃん』や朝ドラ『ひよっこ』でパロディーとして取り上げられ、自らもゲスト出演するほど大きな印象を残した。個人的には、「ラーマ」のCMにおける落ち着いた紳士的な姿が忘れられない。押阪忍の墓は、東京都八王子市の富士見台霊園にある。墓には「押阪家之墓」とあり、右横に墓誌が建つ。戒名は、「久遠院法音日忍居士」。

by oku-taka | 2025-10-05 16:42 | テレビ・ラジオ関係者 | Comments(0)