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三代目・三遊亭圓右(1923~2006)

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三代目・三遊亭 圓右(さんゆうてい えんう)

落語家
1923年(大正12年)〜2006年(平成18年)

1923年(大正12年)、浪曲師の木村重丸、常磐津の常磐津文字綱の長男として東京都杉並区に生まれる。本名は、粕谷 泰三(かすや たいぞう)。父のもとに演芸界の人々が頻繁に出入りしていたことから、幼い頃より落語家の様を真似て育つ。1934年(昭和9年)、ある寄席の楽屋へ遊びに行っていたところ、出番予定の出演者が急病で来られなくなり、急遽代演して落語『越後屋』を披露。これが喝采を浴び、その後も話芸を磨くようになる。1941年(昭和16年)、(亭号不明)小圓治に入門し、橘小圓左で初高座を踏む。しかし、定席には出演できず、主に小規模な端席回りや地方の営業を行う。その後、大東亜戦争の開戦に伴い、砲兵として、南方戦線、タイ・ベトナム、そしてインドネシアのスマトラ島を転戦した。1946年(昭和21年)、復員。1948年(昭和23年)3月、5代目古今亭今輔に再入門し、古今亭壽輔を名乗る。1949年(昭和24年)10月、過去の芸歴を加味され、同名で二ツ目に昇進。二ツ目時代までは背広姿での立ち高座であったが、思うところあって高座への着座に改めた。1955年(昭和30年)4月、真打に昇進し、師匠・今輔の最初の師である三遊亭圓右の三代目を襲名した。以降、つるつるの頭と自在に動く顔の表情をトレードマークに、柔らかで上品ながら生気にあふれた語り口は多くのファンを持った。高座では新作落語一筋で、『銀婚式』『日蓮記』『青い鳥』『酒の素』『天皇陛下とモリアオガエル』といった得意ネタのみならず、今輔譲りの“おばあさん落語”を受け継いで発展させ、「七夕おばあさん」「温泉おばさん」といった色気と茶目っ気のあるおばあさんを演じた。1970年代から1990年代にかけては、ピカピカに光った頭を活かした「太陽からの使者」のフレーズでレギュラー出演した『お好み演芸会』(NHKテレビ)の「噺家横丁」(大喜利)コーナー、マッハ文朱や木ノ葉のことのコンビでの『マッハ・円右の音楽亭』『のこと円右の音楽亭』『のこと円右のラブリー10』(NETテレビ→テレビ朝日)、『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)の審査員役など、様々なテレビバラエティ番組で活躍。さらにテレビCMにも出演し、ライオンの「エメロン石鹸」(つるつる頭を磨き上げるシリーズ)では約10年間、P&Gの成人向け紙おむつ「アテント」(「ゲンさん」シリーズ)では約15年間にわたってCMキャラクターを務めた。2006年(平成18年)3月22日、前立腺癌のため死去。享年82。


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師匠譲りの「おばあさん落語」で知られた三代目の三遊亭圓右。それにも増して彼を有名にしたのは、出演したCMの数々であろう。ライオンの「エメロン石鹸」には約10年、紙おむつ「アテント」のゲンさんシリーズでは約15年間にわたってCMキャラクターを務め、さらには岡山の「小林朱雲堂」という地方CMにまで出演していた。テレビタレントとしても華々しく活躍。それだけに訃報の小ささには大変驚いたものだった。つるつる頭をトレードマークに、自らを「太陽からの使者」と名乗った三遊亭圓右の墓は、東京都杉並区の妙法寺にある。墓には「粕谷 柴崎家之墓」とあり、墓誌はないが建立者として本名の粕谷泰三の名が刻む。

by oku-taka | 2025-09-21 22:55 | 演芸人 | Comments(0)