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藤田淑子(1950~2018)

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藤田 淑子(ふじた としこ)

声優
1950年(昭和25年)〜2018年(平成30年)

1950年(昭和25年)、中国・遼寧省大連市に生まれる。父は電話技師で戦後9年間は中国で電話技術の指導者を務めていたが、帰国後は日本電信電話公社に就職した。小学1年生の時、芝居の仕事が好きだったものの自分ではできなかった一番年上の姉が、児童劇団の募集広告を見て、淑子に「やらせよう」と思い立ち、父の反対を押し切って内緒で児童劇団に申し込んだ。これがきっかけで芸能界に入ることになるが、本人は人前で何かをやることが嫌いであった。一方、体が虚弱で小児リウマチになっており、幼い頃から鍼や湯治に行っていたが、芸能の仕事をしてからは元気になったという。初めての声の仕事は、小学4年生の時の『ビル船長』で、最初のアニメは中学生頃のTBS版『トムとジェリー』のジェリー役。その後、精華学園女子高等学校(現在の東海大学付属市原望洋高等学校)に進学。このとき初めて自分の将来について真剣に考え、これまでは女優になろうと思って放送の仕事をしてきたわけではなく、姉に連れられて児童劇団に入団し、なんとなく楽しいことばかりで、遊び半分に仕事を続けてきたにすぎない、といい加減さに気がついたという。そこで、改めて「女優を自分の一生の仕事にしよう」と決意し、在学中に早野寿郎の私塾「面壁塾」に通い、芝居の基礎を学ぶ。1968年(昭和43年)、テレビドラマ『夏のわかれ』に主演し、42年後に広瀬アリスが更新するまで昼ドラ主演最年少記録となった。また、『アンデルセン物語』、1969年(昭和44年)には『長靴をはいた猫』といった東映動画のアニメ映画作品にも声優として出演。さらに、作曲家の宇野誠一郎が、初めから藤田が歌うことを想定して書いたということから、アニメ『ムーミン』の主題歌「ねぇ!ムーミン」を歌い、これが大好評となった。しかし、子役時代から活動してきたために子役のイメージが抜けず、「いっそしばらくやめちゃったほうがいいかな」と思い、女優の活動を「5年間やめよう」と決心。『ムーミン』のテーマソングで歌手の話が来たことから、19歳で歌手デビュー。デビュー曲『もしもなれたら』はフォークソングで、その後シャンソンやジャズを勉強して歌っていたが、続かなかったという。歌の世界で5年ほど仕事していた頃に長門裕之と出会い、「役者の仕事に戻るのなら、今だよ」と声をかけてもらい、再び女優に専念することを決意。1975年(昭和50年) 、先述の東映動画のアニメ映画作品と同じスタッフで『一休さん』の話が来たため、一休役を快諾。ワンクールくらいのつもりで引き受けたところ、7年間も続く長寿番組となり、『一休さん』が終わったらアメリカへ留学しようと思っていたが叶わなかった。また、並行して歌とテレビドラマをしていたため、アニメの仕事は1本するのが限度だった。それまでは「早くやめたい、他に何か私に向いてる仕事があるだろう」と信じ込んでいたが、留学できなかった時には「もうこれしか残ってないな」と思ったという。1980年(昭和55年)、アニメ『がんばれ元気』に出演。 同作で5歳から15歳までを演じられるところが意欲をそそり、当時レギュラー1本主義だった淑子にとって初の週2本のアニメ出演経験となった。以降、『キャッツ・アイ』の来生泪、『キテレツ大百科』のキテレツ、『ガラスの仮面』の月影千草、『デジモンアドベンチャー』の八神太一など、多くのアニメの主要キャラクターを担当。また、キャスリーン・ターナーやグレン・クローズなどの洋画吹き替えも務めた。1984年(昭和59年)、第1回日本アニメ大賞声優部門最優秀賞を受賞。晩年は健康状態が悪化し、体調不良により持ち役を降板するなど活動を縮小していたが、散発的なナレーションは続け、没後に発売されたゲーム『JUMP FORCE』にも『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』のダイ役で収録に参加していた。2018年(平成30年)12月28日、浸潤性乳癌のため死去。享年68。


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明るい声の少年役が印象的だった声優・藤田淑子。一休さんを皮きりに、キテレツ、『ロミオの青い空』のアルフレド・マルティーニ、『デジモンアドベンチャー』の八神太一など、多くの主要キャラクターの声を務め、当時の子供たちに夢を与え続けた。また、堀江美都子と並ぶ「歌う声優」の走りでもあり、自らが出演した作品はもちろんのこと、『ムーミン』の主題歌も担当して好評を博した。晩年は病のために活動を大幅に縮小。68歳でのあまりに早すぎる旅立ちは、『キテレツ大百科』のファンとして胸が張り裂けるほどの悲しみであった。藤田淑子の墓は、東京都杉並区の宗泰院にある。墓には「藤田家之墓」とあり、左横に墓誌が建つ。戒名は「妙聲院浄明淑婉大姉」。

by oku-taka | 2025-09-08 02:11 | アニメーション関係 | Comments(0)