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中島啓江(1957~2014)

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中島 啓江(なかじま けいこ)

オペラ歌手
1957年(昭和32年)〜2014年(平成26年)

1957年(昭和32年)、鹿児島県肝属郡佐多町(現在の南大隅町)に生まれる。「啓江」と書いて「けいこ」と読むのは、中国の揚子江沿いで生活したことのある母が、そのときに中国の人々から受けた好誼に感謝する意を込めて、揚子江の「江」に因んで名付けたためである。その後、父の転職に伴い、鹿児島から大阪、そして埼玉に移住。慣れない仕事で疲弊した父からのDVに苦しみ、母と逃げ回りながら怯えて育つ。また、和光市立新倉小学校3年生のとき、音楽の授業で先生に「歌う声が大きすぎる」と怒られたことから、クラスの子にいじめられるようになる。小学校6年生のとき、戸田市立笹目小学校に転校。ここで、音楽の授業時に先生から「何で、声が大きいのに歌わないの?」「大きな声がもったいない!」と言われたことから、音楽家の道を志すようになる。その後、戸田市立美笹中学校に入学。在学中はバスケットボール部に所属し、この頃から一回の食事の量が増え始める。東京音大付属高校に入学後も食事の量は変わらず、だんだんと太り始めた。1976年(昭和51年)、昭和音楽短期大学声楽科に入学。1979年(昭和54年)、同大学ディプロマコースオペラ専攻科を卒業し、藤原歌劇団に入団。春平紀美、砂原美智子、マルチェッラ・ゴヴォーニに師事した。同年、『修道女アンジェリカ』のドルチーナ役でデビュー。 以後、『奥様女中』の主役など多数のオペラに出演する。1985年(昭和60年)、藤原歌劇団公演の『マハゴニー市の興亡』で演出を担当した佐藤信にスカウトされ、『マック・ザ・ナイフ』でミュージカルに初挑戦。1986年(昭和61年)9月、初のソロコンサート「天高くオペラ肥ゆる秋」を青山円形劇場で開催。1987年(昭和62年)4月、宮本亜門演出のミュージカル『アイ・ガット・マーマン』にマーマン役で主演。同作はその後再演を重ね、この作品のヒットで中島も一躍脚光を浴びる。1989年(平成元年)2月にはTBSで放送された深夜番組『平成名物TV』の1コーナーである「三宅裕司のいかすバンド天国」に審査員としてレギュラー出演し、お茶の間にも広く知られる存在となる。1990年(平成2年)7月、初のソロアルバム『中島啓江』(アルファレコード)を発表。同年9月、初の全国ツアーを開催。1991年(平成3年)、NHK大河ドラマ『太平記』に出演。1993年(平成5年)にはTBSのワイドショー『わいど!ウォッチャー』で司会を務めた。1994年(平成6年)、自身が選曲・構成・演出を担当したライブ「夢で逢いましょう」を銀座博品館で開催。以後ライフワークとして21年間にわたって開催する。1997年(平成9年)4月13日、日本人女性として初のNYダニーケイ劇場にてリサイタルを開催。一方の私生活では、母の入院に伴い父との同居を開始。しかし、家事は一切やらず、怒鳴り声をあげる父の影響で過度のストレスに陥り、過食症、顔面神経麻痺、メニエール病とさまざまな病気を患う。2003年(平成15年)4月、NHK教育テレビ(現在のNHKEテレ)『夢りんりん丸』にビッグママとしてレギュラー出演。同年6月10日、エッセイ『いつも心にありがとう』を出版。2005年(平成17年)、キューバ最大の音楽祭「CUBA DISCO2005」に名誉招待者として招かれ、『赤とんぼ』『ジャンニ・スキッキ』『トゥーランドット』を歌い上げた。2009年(平成21年)、病院で健康診断を受けたところ、太りすぎで心臓に過度の負担がかかっていることが判明。そこで、フジテレビ系『ビューティー・コロシアム 女性芸能人真剣ダイエットSP2』の企画として、脂肪燃焼成分・カルニチンの合成を高め、たんぱく質をアミノ酸に分解するアクチニジンを含むキウイを毎朝食べる“朝キウイダイエット”に挑戦。「20kgは絶対やせるつもりです」とステージ上でファンに宣言し、ベッドから起き上がるのも一苦労だったという状態から順調に体重を落とし、水泳やウォーキングで「汗をかいて気持ちいい」と語るほど運動にも慣れていった。その結果、3か月で189.2kgから約20kgの減量に成功し、168.4kgとなった。しかし、晩年には180㎏までリバウンド。医師からは、肥満により肺と心臓が圧迫され、酸素がうまく取り込めていないと指摘されていた。また、これにより膝を痛め、杖や車椅子を使って生活していた。2014年(平成26年)11月17日、「息がしづらく苦しい」と事務所社長に電話。マネジャーが東京都内の病院に送り届けたところ、血中酸素濃度が低かったことから入院。当初は切迫した様子もなく、本人もすぐ自宅に戻るつもりだったが、翌日になっても退院の許可は下りなかった。この日は都内で講演会を予定していた為、一時外出を申請して会場へと向かった。同年11月23日の朝に容態が急変。午前10時35分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去。享年57。


中島啓江(1957~2014)_f0368298_02070130.jpg

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力強い歌声と明るい性格で強烈なインパクトを与えた中島啓江。その存在感はまさに圧倒的で、1993年(平成5年)NHK紅白歌合戦での和田アキ子『星空の孤独』のバックコーラスは、森公美子とともに圧巻の一言に尽きる素晴らしいパフォーマンスを見せた。また、底抜けに明るいキャラクターが受け、1990年代前半には様々なバラエティー番組に出演。果ては、テレビドラマへのゲスト出演やワイドショー番組で司会を務めるまでになった。しかし、その明るさの裏には、小学生時代のいじめ体験、実父からのDV、その影響による過食症といった、辛い経験を持つ人でもあった。一時は番組の企画でダイエットに挑戦して成功するものの、結局リバウンドしてしまい、その姿を見かける度に「これ大丈夫なのか?」と心配になってしまうほどの巨体となってしまった。晩年には膝を痛め、杖や車椅子無しでは生活できないほどになってしまったという中島啓江。最期は酸素がうまく取り込めず、呼吸不全という形で世を去った彼女の墓は、東京都世田谷区の実相寺にある。墓は合葬墓で、左側に建つ墓誌に名前が刻む。

by oku-taka | 2025-08-11 02:28 | 音楽家 | Comments(0)