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山手樹一郎(1899~1978)

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山手 樹一郎(やまて きいちろう)

作家
1899年(明治32年)〜1978年(昭和53年)

1899年(明治32年)、栃木県那須郡黒磯町に生まれる。本名は、井口 長次(いぐち ちょうじ)。1917年(大正6年)、旧制明治中学校を卒業し、小学新報社に入社。『少女号』の編集者となる。同年10月、井口長ニの筆名で『幼年世界』に「鸚鵡の声」を発表。その後、『少女文芸』『小学画報』『少年世界』などの少年少女向けの雑誌にも作品を発表した。1932年(昭和7年)、小学新報社を退社し、博文館に入社。『講談雑誌』編集長を経て、『少年少女譚海』の編集長を務め、山本周五郎などの作家を数多く育てる。一方、作家としては、『新青年』や『サンデー毎日』『婦人画報』など青年や婦人層などが読者の雑誌へも作品を発表。しかし、編集者名であった「井口長ニ」では会社の規定で原稿料が支払われない事から、原稿料をもらう為に1933年(昭和8年)の『空撃三勇士』から筆名「山手樹一郎」を名乗るようになる。同年、大林清・梶野千万騎らと同人誌『大衆文学』を創刊。また、肥前藩と薩摩藩の争いを取り成した若侍を描いた「一年余日」を『サンデー毎日』に発表。同作を第1回サンデー毎日大衆小説懸賞に応募し、選外佳作となる。1937年(昭和12年)には、うぐいす取りを内職にする軽輩の又六と亀山藩を巡る騒動を描いた「うぐいす侍」(『サンデー毎日』)を発表。本作は片岡千恵蔵の主演で映画化され、作品の反響を受けるうちに専業作家として独り立ちすることを決意し、1939年(昭和14年)に博文館を退社して専業作家になる。また、土師清二の紹介で長谷川伸の門下となった。同年、岡山の『合同新聞』の依頼を受け、イギリスのアンソニー・ホープの小説『ゼンダ城の虜』をモチーフとして、舞台設定を江戸時代の大名家のお家騒動に置き換えた「桃太郎侍」の連載を開始。それまでの時代小説と異なり、ユーモアと痛快さにあふれた作風は幅広い人気を集めた。1944年(昭和19年)、渡辺華山と高野長英の2人を描いた『獄中記』『檻送記』『蟄居記』の三部作(後に『崋山と長英』として出版)で第4回野間文芸奨励賞を受賞。戦後は1947年(昭和22年)に連載を開始した『夢介千両みやげ』を皮きりに数多くの時代小説を書き続け、明朗かつ壮快な作風は多くの読者に支持され、“貸本屋のベストセラー作家”の異名をとった。1961年(昭和36年)、第2代日本作家クラブ会長に就任。1977年(昭和52年)、勲三等瑞宝章を受章。1978年(昭和53年)3月16日、肺癌のため東京都板橋区の日本大学医学部附属板橋病院で死去。享年79。


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時代小説の分野で絶大な人気を誇った作家・山手樹一郎。それまでの時代小説とは異なり、登場人物の明朗性と勧善懲悪を特色とする作風は大衆から絶大な支持を受けた。1957年(昭和32年)の「大衆文学の読まれ方一貸本屋の調査一」(岩波書店)では「好きな作家」で夏目漱石、江戸川乱歩に次いでランクインし、1958年(昭和33年)には吉川英治を抜いて文壇所得番付の一位になるなど、その人気は凄まじいものであった。後年は寡作であったせいか、その存在は忘れられつつある「貸本界の帝王」の墓は、東京都世田谷区の宗福寺にある。墓には「井口家之墓」とあり、右横に墓誌、左側に「山手樹一郎之碑」と略歴が刻まれたモニュメントが建つ。

by oku-taka | 2025-07-27 20:16 | 文学者 | Comments(0)