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山本茂実(1917~1998)

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山本 茂実(やまもと しげみ)

作家
1917年(大正6年)〜1998年(平成10年)

1917年(大正6年)、長野県東筑摩郡松本村(現在の松本市)に生まれる。小学校では成績優秀であったが、農家の長男として父亡き跡を継がなければならないため、旧制中学校への進学が叶わず、松本青年学校に入学。1937年(昭和12年)、召集されて近衛歩兵第3連隊に入隊。大陸へと渡ったが、病気を得て帰国。以後、陸軍の療養所で詩作と思索の日々を送る。1945年(昭和20年)1月、青年学校の代用教員となる。戦後は農業に従事したが、青年運動にも参加。また、「神田塾」を創設し、農村青年の学習運動を始める。 1948年(昭和23年)、上京して早稲田大学文学部哲学科に聴講生として学ぶ。同年、『生き抜く悩み 哲学随想録』を発表し、大きな反響を呼ぶ。翌年、「葦の会」をつくり、さらに同志と共に「葦会」を組織し、雑誌『葦』や『小説 葦』、総合雑誌『潮』などを創刊。働く若者達の民主サークル運動に影響を与えた。1965年(昭和40年)に青年海外協力隊が発足されると、専任講師も務めた。その後、作家として執筆活動に専念。1968年(昭和43年)に「明治百年」を迎えるにあたって、祖母から聞いた野麦峠の話をテーマとした作品に取り掛かる。かつて野麦峠を越えて働きに出た女工経験のある老女を訪ね、その聞き取りを基に『あゝ野麦峠 - ある製糸工女哀史』を発表。250万部のベストセラーとなった。しかし、参考にしたと思われるエピソードについて、出典を明らかにしなかったことから盗作騒動が巻き起こった。以降もノンフィクション文学を手がけ、『松本連隊の最後』『喜作新道』『高山祭―この絢爛たる飛驒哀史』『塩の道・米の道』などを発表した。1998年(平成10年)3月27日、死去。享年81。


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女工の悲劇を描いた『あゝ野麦峠』で知られる山本茂実。口減らしのため製糸工場へ出稼ぎに行った主人公・政井みねが、厳しい労働環境に耐えて働くも病に倒れ、兄の背におぶられて実家に連れ戻される途中の野麦峠で息絶える間際に発した「あゝ飛騨がみえる…」の言葉は多くの人の涙を誘った。それまで、働く若者たちのカリスマ的存在であった彼が、『あゝ野麦峠』のヒットを受けてノンフィクション作家となり、寡作でありながらも優れた記録文学を発表し続けた。そんな山本茂実の墓は、東京都八王子市の上川霊園にある。墓には「無」と直筆のサインがあり、背面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2025-05-06 15:02 | 文学者 | Comments(0)