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西沢爽(1919~2000)

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西沢 爽(にしざわ そう)

作詞家
1919年(大正8年)〜2000年(平成12年)

1919年(大正8年)、東京府深川に生まれる。本名は、西澤 義久(にしざわ よしひさ)。戦前は中原中也らに私淑し、純粋詩を書き続けていた。旧制豊山中学校(現在の日本大学豊山高等学校)を卒業後、飛行機部品の生産工場に勤務。戦後は通産省の外郭団体に転職し、常務理事まで務め上げた。その頃、巷に流れる『リンゴの唄』を聴いて心打たれ、1948年(昭和23年)にNHKラジオ歌謡の歌詩募集に応募。そのうちの一つである『たそがれの夢』は伊藤久男の歌唱により初のヒットとなった。1954年(昭和29年)、日本コロムビアの専属となり、島倉千代子『からたち日記』『恋しているんだもん』『星空に両手を』、美空ひばり『波止場だよ、お父つぁん』『ひばりの佐渡情話』、小林旭『さすらい』、舟木一夫『学園広場』など数々のヒット曲を世に送った。1969年(昭和44年)、通産省の外郭団体を退職。また、専属作詞家からフリーに転身し、水原弘『女の爪あと』、千昌夫『アケミという名で十八で』とさらにヒットを重ねていく。1971年(昭和46年)、美川憲一『おんなの朝』で第4回日本作詞大賞の大賞を受賞。1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、収集した中世から近世にかけての民衆歌謡の膨大な資料をもとに、中世以降の歌謡曲研究に専念。後に『雑学歌謡昭和史』『はやり唄の女たち』『雑学東京行進曲』などを著した。1977年(昭和52年)より日本音楽著作権協会の理事を務める。1982年(昭和57年)、紫綬褒章を受章。1984年(昭和59年)、日本作詩家協会の会長に就任。1987年(昭和62年)、第9回雑学大賞を受賞。1989年(平成元年)、「日本近代歌謡の実証的研究」で文学博士号(國學院大學)を取得。1991年(平成3年)、『日本近代歌謡史』で第45回毎日出版文化賞特別賞を受賞。1994年(平成6年)、勲四等旭日小綬章を受章。2000年(平成12年)7月19日、敗血症のため東京都内の病院で死去。享年81。没後、従五位に叙せられた。


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1960年代の歌謡曲黄金時代に多数のヒットを放った西沢爽。美空ひばり、島倉千代子、小林旭、舟木一夫といったスター歌手たちの曲を多く手がけ、石本美由起と並びコロムビアレコードが誇るヒットメーカーであった。しかし、後年に作詞家から研究家に転身したために彼の功績が霞んでしまった。間違いなく昭和歌謡史を語るうえで欠くことのできないヒットメーカーなのだが、今や全く評価されなくなってしまったことは非常に残念である。西沢爽の墓は、東京都東村山市の小平霊園にある。墓には「西澤家の墓」とあり、左側に「西沢爽之墓」と背面に賞歴が刻まれたレリーフが建つ。

by oku-taka | 2025-02-24 12:52 | 音楽家 | Comments(0)