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原六朗(1915~2001)

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原 六朗(はら ろくろう)

作詞・作曲家
1915年(大正4年)〜2001年(平成13年)

1915年(大正4年)、東京府東京市日本橋区日本橋馬喰町(現在の東京都中央区)に生まれる。明治大学在学中に服部良一と親交を結び、彼に入門して内弟子をしながら作詞術・作曲術・サックスの手ほどきを受ける。大学中退後、約6年の兵役生活を経て東宝音楽部に籍を置き、ダンスバンドのアルト・サクソフォーン奏者として活動。その後、コロムビア・レコードの専属として、1949年(昭和24年)発表の『僕の東京』(歌唱:藤山一郎)を皮切りに多くの歌手に作品を提供。1952年(昭和27年)には美空ひばりが歌った『お祭りマンボ』が大ヒット。以降、作詞家としても活動した。また、江利チエミ主演の映画「サザエさん」シリーズなど、主に娯楽映画を中心に作・編曲を担当したほか、音楽評論家としても活動した。1959年(昭和34年)、設立されて間もない東芝レコードに移籍。モダンな明るい音楽を好み、『レモンティーをもう一杯』(歌唱:朝丘雪路)や『禁じられた恋のボレロ』(歌唱:水原弘)などを作曲。しかし、次第に演歌調の注文が多くなると仕事に嫌気が差し、仮病を使って徐々に一線から退いていった。2001年(平成13年)11月6日、下咽頭癌のため死去。享年86。


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戦後の復興期にモダンで洒落た歌謡曲を多く世に送り出した作曲家・原六朗。初代コロムビア・ローズの『プリンセス・ワルツ』や、朝丘雪路の『レモンティーをもう一杯』など、師匠の服部良一に負けず劣らずな美しい旋律の楽曲を手がけるのが実に上手い作曲家であった。特に、二葉あき子が歌った『巴里の夜』は、歌謡曲史上最高の名曲といっても過言ではないと個人的には思う。また、美空ひばりに提供した『お祭りマンボ』が最も有名な作品であるが、同じひばりの歌でも『私のボーイフレンド』や『素適なランデブー』の方が小生の好みである。まさにメロディーメーカーの素質のあった彼であるが、東芝レコードに移籍してからは思うような楽曲を作ることができず、徐々に第一線から退いていったのが残念でならない。原六朗の墓は、東京都八王子市の高尾霊園にある。洋型の墓には「原家」とあり、背面に墓誌が刻む。また、平成に植木等の楽曲のプロデューサーを務めた原正志は息子であり、彼も同墓に眠る。

by oku-taka | 2024-12-03 16:19 | 音楽家 | Comments(0)