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田部井淳子(1939~2016)

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田部井 淳子(たべい じゅんこ)

登山家
1939年(昭和14年)〜2016年(平成28年)

1939年(昭和14年)、福島県田村郡三春町に生まれる。三春小学校4年生のときに那須の茶臼岳に登ったことが(一説には福島・安達太良山とも)登山家への意識の芽生えになったと言われている。 その後、福島県立田村高等学校を経て、1962年(昭和37年)に昭和女子大学英米文学科を卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中した。1965年(昭和40年)12月、佐宗ルミエと共に女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功。1969年(昭和44年)、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀クラブを設立。初の遠征先にネパールのアンナプルナIII峰(7555m)を選び、翌年、南壁に新ルートを開拓して登頂に成功した。1971年(昭和46年)、エベレストへの登頂に向け、外務省を通じてネパール政府に申請。また、スポンサー集めに奔走したが、女性だけの登山ということだけで賛同してもらえず、理解や協力を得ることに苦労した。1975年(昭和50年)、エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として、女性で世界初の世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)に登頂。女性 15人、シェルパ 6人からなるチームを率い、5月4日には雪崩に巻き込まれたが死傷者は出ず、その 12日後に田部井とシェルパのアン・ツェリンが頂上を極めた。この功績から、ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞を受賞した。その後も、1980年(昭和55年)にタンザニアのキリマンジャロ山(5895m)、1987年(昭和62年)にアルゼンチンのアコンカグア山(6959m)、1988年(昭和63年)にアラスカのマッキンレー山(今日のデナリ。6190m)、1989年(平成元年)にロシアのエリブルース山(5642m)、1991年(平成3年)に南極大陸のビンソン山(4892m)、そして 1992年(平成4年)6月28日にはオセアニアの最高峰であるニューギニア島のジャヤ山(4884m)の登頂に成功し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となった。同年、2度目の文部省スポーツ功労賞を受賞。さらに世界各国の最高峰制覇を目指し、およそ 70ヵ国の最高峰登頂に成功している。1995年(平成7年)、内閣総理大臣賞を受賞。1999年(平成11年)、旧ソ連7000メートル峰5座の登頂により、日本女性としては初のスノー・レオパードの称号を得た。一方、環境保護運動にも取り組み、九州大学大学院で登山者が山に残すごみの影響を研究し、2000年(平成12年)に修士課程を修了。また、山岳環境保護団体「HAT-J(ハット・ジェー)」の代表を務めた。2002年(平成14年)、国連が定めた「国際山岳年」で、日本委員会の委員長を務めた。2007年(平成19年)夏、早期の乳癌が発覚し、乳房温存手術を受ける。2009年(平成21年)、NHK放送文化賞を受賞。2012年(平成24年)、がん性腹膜炎を発症。余命3カ月を宣告されたが、抗がん剤治療を行った結果、寛解となった。しかし、2014年(平成26年)に転移性脳腫瘍を発症。以降は治療を続けながら国内外の山に登り続けた。2015年(平成27年)には生前葬を開催し、これまで支えてくれた130人を招いた。その後、脳腫瘍はガンマナイフによる治療で消えたものの、腹膜癌を発症。その後、残された時間を日常生活に充てるべく、抗がん剤治療を断念。2016年(平成28年)7月27日、東日本大震災被災者への支援活動として東北地方の高校生らとともに富士登山に参加したが、7合目で断念したため登頂には至らなかった。これが生涯最後の登山となった。同年10月には緩和ケア施設に入所し、10月20日午前10時、腹膜癌のため埼玉県内の病院で死去。享年77。


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女性として世界で初めてエベレストに登頂、そして七大陸最高峰への登頂も成功した田部井淳子。「男は仕事、女は家事」という認識がまだ強い時代に女性だけの海外遠征の登山隊を編成し、世間からの偏見に真正面から向き合った。しかし、それ以上に山を愛する思いは強く、病との二人三脚の生活を強いられた晩年でも、点滴の合間に副作用で痺れる足で登山に挑み、またあるときは肺に溜まった水を抜いて富士山の七合目まで登るなど、常人では考えられない底力を発揮し続けた。山を愛し、山に挑み続けた田部井淳子の墓は、埼玉県所沢市の所沢聖地霊園にある。墓には、山の絵とともに「田部井」と刻まれ、右横に墓誌が建つ。

by oku-taka | 2024-11-17 22:02 | スポーツ | Comments(0)