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巖金四郎(1911~1994)

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巖 金四郎(いわお きんしろう)

俳優・声優
1911年(明治44年)〜1994年(平成6年)

1911年(明治44年)、東京府東京市(現在の東京都文京区)に生まれる。中学在学中から映画と演劇を好み、学校を休んで浅草の劇場に通っていたとされる。その後、明治大学商学部に入学し、演劇部に所属したが、中退して1936年(昭和11年)に上二証券へ入社。1941年(昭和16年)、ラジオドラマ専門の俳優を養成するために募集されたNHK東京放送劇団に第1期研究生として入団。1947年(昭和22年)、NHKラジオ『向う三軒両隣り』の坂東亀造役で一躍その名を知られるようになり、同劇団の看板俳優となった。以来、俳優・声優として、ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』、テレビドラマ『赤穂浪士』『竜馬がゆく』『樅ノ木は残った』などに出演し、ドラマ草創期とラジオ黎明期を支える存在となった。1959年(昭和34年)、優れた朗読家に贈られる和田賞を受賞。その後、テレビアニメにも進出し、『ペリーヌ物語』のビルフラン役、『アルプス物語 わたしのアンネット』のペギン爺さん役などを務めた。1980年(昭和55年)に紫綬褒章、1986年(昭和61年)には勲四等旭日小綬章を受章した。1994年(平成6年)12月30日午後2時25ふん、肺炎のため埼玉県川越市の病院で死去。享年83。


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今や人気の職業となった声優。その草分け的存在として、黎明期のラジオを支えた一人が巖金四郎である。『向う三軒両隣り』、『鐘の鳴る丘』とラジオドラマに次々と出演し、番組の人気に貢献した。アニメ『ペリーヌ物語』では、気難しい性格の経営者・ビルフランを演じ、聡明かつ働き者で優しいペリーヌとの触れあいで心を開き、やがて本当の孫と祖父として再会を果たすという感動のストーリーを、新人・鶴ひろみを相手に見事演じた。一方、NHK放送劇団五期生の講師となり、「蹴落とさねぇ奴は、蹴落とされるんだ!」と発言したことを、黒柳徹子が自著『トットチャンネル』の中で明らかにしており、それまで「みんなで一緒にやるんだよ。何をするのも一緒だよ。助け合ってね」と育てられてきた徹子は、巌の言葉にとても悲しくなったと書いていたことも印象深く残っている。巖金四郎の墓は、埼玉県所沢市の所沢聖地霊園にある。墓には「巌家」とあり、背面に墓誌が刻む。戒名は「金照院放光日眞居士」。

by oku-taka | 2024-11-04 00:12 | 俳優・女優 | Comments(0)