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ちばあきお(1943~1984)

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ちば あきお

漫画家
1943年(昭和18年)〜1984年(昭和59年)

1943年(昭和18年)、満洲国奉天省奉天市(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)に生まれる。本名は、千葉 亜喜生。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家のちばてつや、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作、弟は漫画原作者の七三太朗。1946年(昭和21年)、終戦によって帰国し、幼少期を東京都墨田区で過ごす。少年時代は手先が器用でラジオの修理なども出来たほどだったことから、昼間は玩具製造工場に勤め、高校は夜間学校に通う。しかし、身体を壊して退社。自宅療養の傍らちばてつやのアシスタントとして漫画界に携わる。1967年(昭和42年)、読み切り漫画『サブとチビ』でデビュー。同年、初めての連載作品『リカちゃん』(講談社『少女フレンド』)を発表。その後、いくつかの短編を経て、1971年(昭和46年)に発表した『校舎うらのイレブン』や『半ちゃん』で注目を集める。1972年(昭和47年)、野球漫画『キャプテン』の連載を開始。それまで主流だった「魔球などの非現実的な技を活用する熱血野球漫画」と違い、「欠点を持ち合わせた等身大のキャラクターが、仲間と一緒に努力しながら成長していく過程」を描き、スポーツ漫画としての新たなスタイルを築き上げた。1973年(昭和48年)からは「週刊少年ジャンプ」にも、高校進学後の主人公・谷口を中心に描いたスピンオフ作品『プレイボール』が並行連載された。この2作品で、1977年(昭和52年)に第22回小学館漫画賞を受賞した。しかし、『プレイボール』と『キャプテン』の連載を同時に抱えたことで心身が疲労し、やがてアルコール依存症に陥る。医者に仕事量を減らし、療養するよう勧められたことから、1978年(昭和53年)に『プレイボール』を休載。翌年には『キャプテン』を完結させて休養に入った。しかし隠れて酒を求め、ついには漫画家をやめさせて花屋を営ませるという話が立ち上がるほど症状は深刻であった。1983年(昭和58年)、『ふしぎトーボくん』で復帰。1984年(昭和59年)には『チャンプ』の連載を開始したが、同年9月13日午後0時半頃、昼食時になっても降りてこないため、母が自宅2階の仕事場に入ったところ、電気コードで首を吊って死んでいるのを発見。机の上には『チャンプ』の書きかけの原稿が残されていた。享年41。


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兄・ちばてつやのアシスタントを経て、人気野球漫画『キャプテン』を生み出したちばあきお。それまでの魔球や斬新なトレーニングといった非現実的な技を繰り広げる劇的な野球漫画ではなく、欠点を持つキャラクターが仲間と一緒に努力して成長するという青春ストーリーで、当時の野球漫画のみならずスポーツ漫画の世界に新たなスタイルを打ち出した。しかし、その実像は繊細かつ完璧主義な性格で、常にプレッシャーと闘いながら死に物狂いで漫画を描いていた。まさに命を削りながら漫画を描き、41歳で自ら人生に終止符を打ってしまったちばあきおの墓は、埼玉県所沢市の所沢聖地霊園にある。墓には「千葉」とあり、右側に墓誌が建つ。

by oku-taka | 2024-11-03 23:50 | 漫画家 | Comments(0)