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安野光雅(1926~2020)

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安野 光雅(あんの みつまさ)

画家
1926年(大正15年)〜2020年(令和2年)

1926年(大正15年)、島根県津和野町に生まれる。自然あふれる土地でさまざまな空想をめぐらせ、絵描きになることを夢見て少年時代を過ごす。1940年(昭和15年)、山口県立宇部工業学校(現在の山口県立宇部工業高等学校)採鉱科に入学。1944年(昭和19年)1月、同校を繰り上げ卒業し、住友鉱山に就職して忠隈鉱業所(飯塚市)に務める。1945年(昭和20年)4月に応召し、香川県王越村(現在の坂出市)にて上陸用舟艇の秘匿場建設に従事する。復員後の1946年(昭和21年)、敗戦直後の混乱期に無資格のまま山口県徳山市(現在の周南市)で小学校の教員を務める。その後、山口師範学校(現在の山口大学教育学部)研究科を修了し、1949年(昭和24年)に美術教員として上京する。約10年間三鷹市の三鷹市立第五小学校や明星学園や武蔵野市立第四小学校で教師を務めるかたわら、玉川学園出版部で本の装幀、イラストなどを手がけた。明星学園・国語部、教育科学研究会・国語部会などによる日本語指導(言語の教育)のテキスト『にっぽんご』シリーズの装幀も手がけたのもこの頃である。この小学校教諭時代の教え子に後の筑摩書房取締役の編集者・松田哲夫がおり、そのつながりで同社の多数の本の装丁をしている。一方、二紀会に所属していたが、食べるための仕事のために出品できなくなり、1960年代に退会した。しかし、35歳のときに教師を辞し、絵描きとして自立する。1961年(昭和36年)、フランスを旅したときに目にしたエッシャーの絵に大きな影響を受ける。そこから、たくさんの小人を登場させた「だまし絵」手法で、不可能図形の不思議な世界を描いた『ふしぎなえ』を1968年(昭和43年)に刊行し、絵本作家としてのデビューを果たす。その後、次第に世界的評価が高まり、絵本は世界各国で翻訳された。1974年(昭和49年)、アルファベットの文字の形が不思議な図を描く『ABCの本――へそまがりのアルファベット』などで芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。この他、講談社出版文化賞、小学館絵画賞、イギリスのケイト・グリナウェイ賞特別賞、アメリカのブルックリン美術館賞、ホーンブック賞、最も美しい50冊の本賞などを受賞し、国際的にも高く評価された。1976年(昭和51年)、『あいうえおの本』でチェコスロバキア(当時)のブラチスラバ国際絵本原画展(BIB)金のリンゴ賞を受賞。その後も絵本にとどまらず風景画、装画、装丁、エッセイなど幅広い分野で活躍。劇作家の井上ひさしが主宰する劇団こまつ座の宣伝美術や大阪府立国際児童文学館のシンボルマークを手がけた。1977年(昭和52年)には『旅の絵本』を刊行し、以後9冊も続く人気シリーズとなった。1978年(昭和53年)、ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞を受賞。1979年(昭和54年)、『天動説の絵本』で絵本にっぽん賞(現在の日本絵本賞)を受賞。1980年(昭和55年)、二度目のボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞を受賞。1984年(昭和59年)にはその業績が評価され、日本人としては2人目となる国際アンデルセン賞画家賞を受賞した。1988年(昭和63年)、紫綬褒章を受章。1991年(平成3年)から司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく』の装画を担当し、司馬の死去まで続いた。1996年(平成8年)からちくま文庫で刊行されたシェイクスピア戯曲の松岡和子による新訳シリーズでは、全巻の表紙画を担当した。1997年(平成9年)、勲四等旭日小綬章を受章。2001年(平成13年)春、故郷の津和野町に多くの作品を常時展覧する「安野光雅美術館」が開館した。2005年(平成17年)、肺癌の告知を受けるも、放射線治療によって完治する。2008年(平成20年)、絵画、デザイン、装幀、文筆など多方面にわたるすぐれた業績と、その結晶ともいうべき「繪本平家物語」「繪本三國志」の刊行に対して菊池寛賞を受賞。2010年(平成22年)、森鴎外による文語翻訳文を口語に訳した『口語訳 即興詩人』(原作ハンス・クリスチャン・アンデルセン)を発表。2012年(平成24年)、文化功労者に選出。2017年(平成29年)、京丹後市に常設の美術館「森の中の家 安野光雅館」が開館。2020年(令和2年)12月24日、肝硬変のため死去。享年94。


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ユニークな絵本で国際的に高く評価された安野光雅。教員生活を経ての遅咲きデビューとなったが、やわらかで淡い色彩と繊細かつ独創性あふれるタッチが人々に支持され、特にデビュー作『ふしぎなえ』は、目の錯覚を利用して現実ではあり得ない世界を描き、独自の地位を確立した。また博学でも知られ、季節や最近の流行・話題などのトークを展開するNHKのラジオ番組『日曜喫茶室』の常連客として長年出演し続けた。児童文学のノーベル賞ともいわれる国際アンデルセン賞を受賞するなど、海外でも高い評価を受けた安野光雅の墓は、埼玉県所沢市の所沢聖地霊園にある。墓には直筆で「野ノ墓」とあり、右横に墓誌が建つ。

by oku-taka | 2024-09-23 10:02 | 芸術家 | Comments(0)