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滝田ゆう(1931~1990)

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滝田 ゆう(たきた ゆう)

漫画家
1931年(昭和6年)〜1990年(平成2年)

1931年(昭和6年)、東京市下谷区坂本町(現在の東京都台東区下谷)に生まれる。本名は、滝田 祐作。出生の翌日に実母が亡くなり、家庭の事情で叔父の家に養子に行き、東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島)で、義理の両親と義兄1人義姉2人の6人家族で育つ。東京都立墨田川高等学校を卒業後、國學院大學文学部に進学。しかし、ほとんど通わずに中退する。1949年(昭和24年)〜1950年(昭和25年)頃、漫画家・田河水泡の内弟子となる。1952年(昭和27年)、『漫画少年』(学童社)掲載『クイズ漫画』でデビュー。しかし、漫画一本では生活できず、キャバレーの美術部に所属し、看板を書いて収入を得る。1956年(昭和31年)から田河の紹介で東京漫画出版社の貸本漫画を中心に執筆を開始。注文のあるままに『なみだの花言葉』等の少女漫画を書き、作風を模索しながら1959年(昭和34年)に家庭漫画『カックン親父』(東京漫画出版社)を発表し、これが初のヒット作となった。続いて『ダンマリ貫太』(東京トップ社)シリーズを発表。そして貸本漫画の東考社社長桜井昌一の紹介で、1967年(昭和42年)4月『月刊漫画ガロ』(青林堂)に組織の都合に振り回される男を描いた『あしがる』を発表し、つげ義春、林静一ら同誌の掲載陣の仲間入りを果たす。死刑囚が主人公のブラックユーモア『しずく』、周囲に何が起ころうと全く無関係に振る舞う二人を描いた『ラララの恋人』等、様々な作品が立て続けに掲載され、『ガロ』の人気漫画家になる。次から次に原稿を持ち込むため一度に3本の作品が掲載されることもあった。この頃から少しずつ、漫画で通常は登場人物の台詞を書き込むスペースであるふきだしにその人物の心境や状況を表す挿絵を描き始める。1968年(昭和43年)12月、自身の少年時代をモチーフとした半自伝的作品である『寺島町奇譚』を『ガロ』に連載開始。つげ義春の画風に影響を受けた綿密な作画で作者の内面を表現し、私小説ならぬ私漫画とも呼ばれて代表作となった。1972年(昭和47年)には掲載誌を『別冊小説新潮』(新潮社)に移して4本を発表したが、以降活動の場を漫画誌から徐々に文芸誌(中間小説誌)等に移していく。これは、元々はシンプルな画風だったが、『寺島町奇譚』以降は陰影を強調して画面全体に細々と描きこむ「手仕事」といえる画風になり、現在の漫画製作の手法では一般的になっているアシスタントを使っての作品の大量生産には不向きで、週刊化して大量消費されるようになった漫画誌のマーケティングには馴染みにくかった。作風も「子供受けするわかりやすい漫画」とは言い難く、むしろ青年以上の大人にニーズがあった。 滝田の作品はその文学性を極めて高く評価され、文芸誌、グラフ誌等では得難い存在で引っ張り凧であった。1974年(昭和49年)、『怨歌橋百景』とその他の作品で第20回文藝春秋漫画賞を受賞。この頃から漫画に合わせて画集、エッセイ等の発表が増えてくる。また、昭和を振り返る雑誌、書籍等の企画でエッセイ+イラストの形式が多かった。一方、坊主刈りで着流しに下駄履き姿が親しまれ、テレビ番組や週刊誌のグラビアページへ頻繁に出演。親しみやすい風貌と人柄だったが、突然不機嫌になって癇癪を起こすことも多く、眼鏡を床に叩きつけたり、長く居住した東京都国立市の谷保天満宮で行われた自身の文藝春秋漫画賞受賞を祝う会への出席を直前になって渋り始めて担当編集者の手を煩わせるなど、家族や周囲に当たり散らす事もあり、気安い面と気難しさが共存していた。大の飲み屋好きでも知られ、地元国立市近辺の居酒屋やバー、新宿ゴールデン街によく出没。必ずといって良いほど梯子酒をしていたという。その後も昭和の東京を舞台にした漫画、イラスト、エッセイを多数執筆し、昭和の情緒あふれる作品はテレビや映画などでも取り上げられ、多くの人たちに親しまれたが、1982年(昭和57年)10月9日、自宅で脳血栓のため倒れる。休養を経て復帰し、好きな酒も絶ってエッセイ、イラスト、画文集等を発表するが、左半身に麻痺が残り、以降コマ漫画は手掛けなかった。1987年(昭和62年)、『裏町セレナーデ』で第16回日本漫画家協会賞大賞を受賞。1990年(平成3年)、小説『さらばぼく東夢明かり-私版 ぼく東奇譚』を発表。同作のあとがきにおいて「自身の玉の井へのこだわりはこの作品で総括とする」旨記しているが、以降エッセイや漫画、小説を手掛けることは無かった。同年8月25日午前8時17ふん、肝不全のため死去。享年58。


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独特なタッチで昭和の下町を描いた滝田ゆう。戦前の故郷・玉の井をこよなく愛し、失われてしまったその世界を独自の筆致で追い求め続けた。そのノスタルジーな人間模様と風景は大衆の支持を集め、人気雑誌『ガロ』を代表する漫画家にまで上り詰めた。また、愛嬌のある風貌からテレビのクイズ番組やCMなどにも起用され、お茶の間の人気者ともなった。しかし、これまたこよなく愛した酒によって体を壊し、58年の早すぎる生涯に幕を閉じた。古き良き昭和の幻影を作品として描き続けた滝田ゆうの墓は、埼玉県所沢市の狭山湖畔霊園にある。おにぎり型の墓には直筆による「滝田ゆう」が刻まれ、カロート部分には下駄の絵が描かれている。

by oku-taka | 2024-09-09 09:24 | 漫画家 | Comments(0)