人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山岸一雄(1934~2015)

山岸一雄(1934~2015)_f0368298_23031517.jpg

山岸 一雄(やまぎし かずお)

料理人
1934年(昭和9年)〜2015年(平成27年)

1934年(昭和9年)、長野県中野市に生まれる。4歳の時に父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。7歳の時に父が戦死、母の実家のある長野県に戻り、同県下高井郡山ノ内町に移った。父親が日本海軍の職業軍人であったことが影響し、小さい頃は海軍の軍人になるのが夢であった。しかし、終戦によってその夢もなくなり、早く東京に出て働いて家族に仕送りしたいと思うようになった。1950年(昭和25年)、中学を卒業後に上京し、印刷機の部品を作る工場で旋盤を扱う仕事をしていたが、上京から1年位経った頃に、親の従兄弟であり、仲が良く「兄貴」と慕っていた坂口正安に勧められ、1951年(昭和26年)4月、一緒にラーメン屋「栄楽」に勤め始める。その後、坂口が独立する際に行動を共にし、『大勝軒』(中野店)を立ち上げた。この店名は「大きく軒並みに勝る」と言う言葉に由来。1954年(昭和29年)には、坂口が別の場所に本店(代々木上原店)を構えたことにより、山岸が中野店の店長を任されることになった。その頃、修行店時代から存在し、賄食としていた「湯呑み茶碗にスープと醤油を入れたものに、残ってしまった麺を浸したもの」を食していたところ、それを見ていた客が「今度俺にも食わせてよ」と関心を示した。これが転機となり、試行錯誤しながら研究を行い、常連客に試食させたところ評判が良かったのでメニューの一品として完成させ、1955年(昭和30年)「特製もりそば」として供されたものが、商品化された最初のつけ麺といわれ、その考案者とされている。1961年(昭和36年)6月6日、妻と妹の3人で『東池袋大勝軒』として独立創業(暖簾分け)。「特製もりそば」(つけ麺)を中心に人気を博す店となったが、仕事での無理を重ねたことにより二十代後半から下肢静脈瘤を発症。40歳頃に痛みが限界に達したために手術等の治療を行ったが、この病気が様々な面で後々まで広く影響を及ぼしている。1986年(昭和61年)夏、妻が病を発症し、9月30日には52歳で死去。そのため同年8月より7か月休業したが、客の強い要望を受けて復活。その後、弟子を取ることに方針を転換して約100人の弟子を持ち、暖簾分けもさせた。しかし、2005年(平成17年)には病気が悪化したことで厨房に立てなくなったことに加え、時代の流れと東池袋付近の再開発もあり、2007年(平成19年)3月20日をもって閉店。閉店を発表後は連日全国各地から大勢の客が殺到。最終日には数百メートルの行列になるなどの賑わいを見せ、その模様は国内外の新聞、雑誌、テレビなどのメディアで報道された。2008年(平成20年)1月5日、廃業済みの創業店から約100メートル先の場所に『東池袋大勝軒本店』がオープン。公式サイトではこれをもって東池袋大勝軒「復活」としている。山岸自身の指名で2代目店主として飯野敏彦(滝野川大勝軒、南池袋大勝軒で店主を務めていたが、本店店主就任時にこの2店舗は本店直営店化された)が就いたが、山岸自身もスープの味見と仕上げのために厨房に出向いていた。同店のオープンに際しては開店前から長蛇の列となり、用意した400食は約6時間で完売した。なお、同店オープン準備中であった前年の9月6日に脳出血で病院に搬送され、3週間入院していたことをオープン前日のプレオープンイベントで明かした。2011年(平成23年)9月、「山岸一雄製麺所」の1号店をエチカ池袋内にオープン。同チェーンはJ-style株式会社が運営し、経営ならびに総合プロデュースは弟子の田代浩二が行っているため、山岸一雄名義を使用しているだけであって山岸自身は直接関わっていない。同年、山岸の半生を追った映画『ラーメンより大切なもの~東池袋 大勝軒50年の秘密~』が公開された。2015年(平成27年)3月中旬に体調を崩して東京都板橋区の病院に入院。同月27日には危篤となり、4月1日午後0時31分、心不全のため死去。享年82。


山岸一雄(1934~2015)_f0368298_23514135.jpg

山岸一雄(1934~2015)_f0368298_23514262.jpg

山岸一雄(1934~2015)_f0368298_23514604.jpg

山岸一雄(1934~2015)_f0368298_23514404.jpg

今やポピュラー食となった「つけ麺」を世に広めた山岸一雄。ラーメンを別の器に入った汁につける「つけ麺」で、東京・池袋の「東池袋大勝軒」を全国的な人気ラーメン店へと押し上げた。また、その技術を惜しげもなく伝えたことでも知られ、約20年間で100人以上の弟子を育成し、全国各地に大勝軒の暖簾分けを行った。白いタオルの極太鉢巻に白い長靴という頑固そうな出で立ちながら本人は大変に温厚。 「支那そばや」創業者の佐野実がラーメンの世界で唯一尊敬する人物と公言し、葬儀にはタレントの勝俣州和や猫ひろし、弔辞を当時衆議院議員だった小池百合子が務めるなど、飲食業界にとどまらない存在であった山岸一雄の墓は、埼玉県熊谷市の浄安寺にある。3基あるうち、山岸の納骨されている墓には「山岸家之墓」とあり、左側に墓誌、右側に直筆「麺 絆 心の味」と刻まれた碑が建つ。戒名は「雄厳一道居士」。

by oku-taka | 2024-07-23 23:54 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)