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根上淳(1923~2005)

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根上 淳(ねがみ じゅん)

俳優
1923年(大正12年)〜2005年(平成17年)

1923年(大正12年)、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)に生まれる。本名は、森 不二雄(もり ふじお)。杉並商業学校を経て、1941年(昭和16年)に法政大学経済学部へ進学。1943年(昭和18年)、学徒出陣で東部六二部隊に入隊。甲種幹部候補生に志願し、厳しい訓練を受けて特別操縦見習士官として飛行訓練に入る。しかし、この頃から胸を悪くし、入院中に終戦を迎える。戦後は群馬県太田市に疎開していた家族のもとに戻り、復学した法政大学に太田から4、5時間かけて通った。卒業後は、進駐軍の通訳として働くが、黒人兵とケンカして1年で退職する。米の配給票が必要で、それを入手するには東京で就職するしかなく、「つなぎ」の仕事として東宝第2期ニューフェイスに応募するも、試験の時間に間に合わず断念。1947年(昭和22年)、大映演技研究所の3期生募集に応募し、見事合格する。しばらく仕出しが続くも、1949年(昭和24年)に映画『母三人』で本格デビュー。1950年(昭和25年)の『二十歳前後』で主役を演じてから役に恵まれるようになり、特に1951年(昭和26年)の『牝犬』のバンドマン役で注目され、根上の出世作となった。その後は大映の若手スターとして活躍し、『金色夜叉』『川のある下町の話』『浅草の鬼』などで二枚目スターの地位を確立した。1956年(昭和31年)6月23日には渡米してMGM映画『八月十五夜の茶屋』にも出演した。1964年(昭和39年)、長門裕之・南田洋子とともに人間プロダクションの設立に参加。1965年(昭和40年)、根上の大ファンであった歌手のペギー葉山と結婚。結婚後も夫婦で本を出版し、書道の展覧会に二人で出展するなど芸能界一のおしどり夫婦として知られていた。1967年(昭和42年)、大映を退社。以降は活躍の場をテレビドラマに移し、NET『白い巨塔』(里見脩二役)や、降板した塚本信夫の後任としてTBS『帰ってきたウルトラマン』(伊吹竜隊長役)に出演するなど、存在感のあるバイプレーヤーとして多くの作品に出演した。特に『帰ってきたウルトラマン』では、それまでのウルトラシリーズでは隊員服は隊長含めて全員同じだったものが「階級の違いを表すものをつけてほしい」という根上の希望で隊員服の胸にある太いV字のラインの上に細いラインが足されることになった。初登場時に搭乗していた戦闘機、マットアロー2号も機首と垂直尾翼に黄色のラインが2本入った専用機である。また、根上が『帰ってきたウルトラマン』、妻のペギーが『ウルトラマンタロウ』(ウルトラの母役)と夫婦それぞれウルトラシリーズの作品に出演している。また、歌謡番組の司会やバラエティ番組『連想ゲーム』などにも出演。時代劇作品などでは悪役も演じ、好人物から悪役まで幅広い役柄をこなす名脇役として活躍した。その一方で、戦争映画への出演、特に軍人役は拒否し続けた。1996年(平成8年)には戦争で生き残った大学の同級生と法政大学多摩キャンパスに平和記念碑を建立している。1998年(平成10年)8月、糖尿病の合併症による脳梗塞で倒れたため芸能活動を休止。自宅で療養していたが、2005年(平成17年)10月24日午後3時54分に脳梗塞のため東京都新宿区の病院で死去。享年82。


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大映の2枚目スターからいぶし銀の名バイプレイヤーとなった根上淳。映画俳優としては、そのルックスと特徴的な声で菅原謙次と人気を二分し、活躍を映画からテレビに移してからは、『帰ってきたウルトラマン』で渋い伊吹隊長を演じた一方、悪役としても存在感を発揮した。一方、妻・ペギー葉山とのおしどり夫婦ぶりはよく知られ、2人でテレビに出るのみならず、番組の司会をしたり、CMにも出演した。『徹子の部屋』に夫婦で出演した際、「2枚目よりも朴訥な感じが好きだった」と語ったペギー葉山の献身的な介護を受け、80年の生涯に幕を閉じた根上淳の墓は、茨城県取手市の弘経寺にある。墓には「森家之墓」とあり、左側に墓誌が建つ。また、訪問時にはファンが供えたと思しき「ウルトラマンタロウ」と「ウルトラの母」の人形があった。戒名は「真覚院淳映誉空善居士」。

by oku-taka | 2024-05-21 00:30 | 俳優・女優 | Comments(0)