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和田浩治(1944~1986)

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和田 浩治(わだ こうじ)

俳優
1944年(昭和19年)〜1986年(昭和61年)

1944年(昭和19年)、ジャズ・ピアニストの和田肇の次男として、東京・赤坂に生まれる。本名は、和田 愷夫(わだ ひでお)。その後、茨城県水戸市に疎開し、水城小学校を経て、1959年(昭和34年)3月に茨城大付属中学校を卒業。父が経営していた喫茶店「リズム」に立ち寄るバンドマンなどに可愛がられたことから、4月に上京して東洋音楽学校声楽科に入学。学生時代は、父のシボレー52年型を乗りまわし、それだけでは飽き足らず、オートバイ屋や自動車屋に日参。これが縁でトーハツのオートバイのカレンダー写真のモデルを頼まれたが、当時人気の石原裕次郎に似ていたことから、そのときの撮影者だった杵島隆から映画入りを勧められる。杵島は、松竹・東映なら学業を続けさせてくれるだろうと考え、まず東映に話をかけ、松竹宣伝部にも連れていったが、結果的に和田本人が希望して日活に入社。同年、『無言の乱斗』に主演し、俳優デビューを果たす。1960年(昭和35年)、映画『若い突風』の主題歌でコロムビアから歌手としてもデビュー。また、石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)とともに「ダイヤモンドライン」を結成。和田は「やんちゃガイ」と称され、「愚連隊シリーズ」や「小僧シリーズ」に次々と主演する。しかし、ダイヤモンドラインの中では一番若かったことから、コメディ・アクションとしての性格をさらに奇想天外な設定のアクション映画になっていった。1961年(昭和36年)、『東京騎士隊』『大暴れマドロス野郎』『無鉄砲大将』『有難や節・あヽ有難や有難や』などに主演。以上の映画すべてに清水まゆみが共演し、名コンビと称される。しかし、年を経るにしたがって、他の主演級と比べて特徴を売り出すことが出来ず、1963年(昭和38年)頃から徐々に脇役に回ることが多くなった。1967年(昭和42年)10月、テレビドラマ『ある日わたしで』に出演し、再び脚光を浴びる。1968年(昭和43年)には浅丘ルリ子、二谷英明と共にNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』に高杉晋作役で出演した。旧日活体制が終焉し、ロマンポルノ路線へ移行した1971年(昭和46年)からはフリーとなり、ホリプロの企画制作だった『女番長 野良猫ロック』に出演した縁から、最終的にホリプロ所属となった。同年、ビクターから『小さなあやまち』をリリース。その後、『久しぶりだね』『ふたり道』『おもいやり』などのレコードをリリースした。私生活では、この年に歌手の梓みちよと結婚したが、1972年(昭和47年)にスピード離婚。1974年(昭和49年)、クラブ経営者・田村順子と再婚し、1975年(昭和50年)1月にハワイで挙式したことも話題になった。1978年(昭和53年)、テレビ時代劇『大岡越前』第5部に同心・風間駿介役で出演。血気盛んな好漢の同心役は好評で、第9部まで出演。生涯の当たり役になった。風間を主人公とした、当時としては珍しいスピンオフ作品『疾風同心』『八丁堀暴れ軍団』も制作されるなど、時代劇俳優として新境地を開拓していく。しかし、1984年(昭和59年)12月に「胃が痛い」と不調を訴える。当初は薬などでごまかしていたが、1985年(昭和60年)6月1日に我慢ができず東京女子医大に緊急入院。本人には胃潰瘍と告げられたが、既に手の施しようも無いほど悪性の癌が進行していた。その後、本人にも癌であることが告げられた。年末には奇跡的に回復し、一時退院によって芸能活動を再開。しばらく休んでいた『大岡越前』にも復帰し、最後のレコーディングとなった『なぐさめ』を収録したが、1986年(昭和61年)に再び体調が悪化。2月14日から10日間入院し、その後は一進一退の状況が続く。5月15日、『酒井広のうわさのスタジオ』(NTV系)に出演し、『なぐさめ』を披露。その2日後の5月17日に順天堂病院へ再入院。7月6日午前5時、胃癌のため死去。享年42。


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「ダイヤモンドライン」の一人として、日本映画黄金期に日活で活躍した和田浩治。ジャズ・ピアニストの和田肇の息子として、また石原裕次郎に似た青年として話題を振りまくが、若干15歳にして荒唐無稽なアクション映画の主演を務め、歳相応の役をやらせてもらえないまま脇に回された不遇のスターであった。その後、『大岡越前』で風間駿介という当たり役と出会い、時代劇において地位を確立。歌手としても、低音の渋い歌声で『おもいやり』『久しぶりだね』をリリースするなど、まさにこれからというときに胃癌で倒れ、42歳であの世の人になってしまったことは、さぞかし本人も無念であったことであろう。和田浩治の墓は、茨城県水戸市の蓮乗寺にある。墓には「和田家之墓」とあり、両側面に墓誌が刻む。戒名は「法浩唱院日治居士」。

by oku-taka | 2024-05-05 22:22 | 俳優・女優 | Comments(0)