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野際陽子(1936~2017)

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野際 陽子(のぎわ ようこ)

女優
1936年(昭和11年)〜2017年(平成29年)

1936年(昭和11年)、石川県河北郡津幡町に生まれる。その後、富山県富山市を経て、3歳から東京都杉並区天沼で育った。杉並区立杉並第五小学校、立教女学院中学校・高等学校と進学し、立教大学文学部英米文学科に入学。在学中は初代ミス立教に選ばれ、ESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演した。大学卒業後の1958年(昭和33年)、NHKにアナウンサーとして入局。3か月の研修後に名古屋放送局へ赴任し、天気・婦人番組を担当した。1960年(昭和35年)、NHK東京放送局(現在のNHK放送センター)に赴任。テレビ『おはようみなさん』の司会を週1回担当し、以降の2年間は週3本のレギュラー番組を担当した。1962年(昭和37年)3月、NHKを退職し、企画を説明する係として広告代理店に転職。しかし出番が来ないまま3か月が経ち、給料だけもらうのは忍びないと気兼ねしていると、15分の生放送番組である『女性専科』(TBS)の司会者を担当することになる。その後、TBSの『3時にあいましょう』で船越英二と司会を務め、二人のコミカルな掛け合いが人気を博した。1963年(昭和38年)、TBSのテレビドラマ『悲の器』に出演。TBSのプロデューサー大山勝美は、主演の佐分利信の教え子になる理知的な若い美人を探すもなかなか見つからず、そんな時に当時NHKの花形美人アナウンサーだったが近々辞めてフリーになるという噂があった野際に会い、「芝居やってみませんか」と誘ったところ、「とてもやりたいと思っている」と言ったことから出演が決まった。1966年(昭和41年)2月、かねてから念願であったパリへ留学。ソルボンヌ大学で古典仏文学の授業を受けながら、アリアンスフランセーズにも通い、1年を過ごした。1967年(昭和42年)3月、パリから帰国。この時、まだ日本では珍しかったフランス製のミニスカートを着用してタラップを下りてきた。ミニスカートは世界的に流行しつつあったが、日本においては同年10月のツイッギー来日を皮切りに爆発的に流行しており、それよりも7か月早く著名人がミニスカートを穿いて公の場に現れたことから、野際は「日本におけるミニスカート第一号」となった。その後、『女性専科』の司会に復帰し、パリで培ったファッションセンスを活かした。1968年(昭和43年)、テレビドラマ『キイハンター』に出演。同作は5年間放送され、視聴率30%以上を記録するなど一世を風靡した。また、主題歌『非情のライセンス』も担当した。1972年(昭和47年)には共演した千葉真一と婚約し、翌年には結婚。1975年(昭和50年)に長女・真瀬樹里を出産。38歳11か月での初産は当時の芸能人の高齢出産最高齢記録だった。以降、女優業と並行して娘の授業参観や学校の運動会などに積極的に参加した。1992年(平成4年)、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』でマザコンでオタクの冬彦役を演じた佐野史郎と、彼を溺愛するしたたかな母親役の野際の怪演が話題となり、ドラマは大ヒット。同年の新語・流行語大賞では「冬彦さん」が流行語部門の金賞に選ばれ、佐野と共に受賞者となった。以後、着物姿の姑役、主に息子に甘く嫁に厳しい姑がハマり役となり、『ダブル・キッチン』『誰にも言えない』『スウィート・ホーム』『長男の嫁』などTBSドラマの常連になった。1994年(平成6年)、日本に居たかった野際は、アメリカに拠点を移したかった千葉と離婚。千葉と一緒に記者会見に臨み、「私のわがままです。彼がハリウッド進出のため米国にいるのがほとんどで、千葉真一の妻という感覚が希薄になりフッと忘れてしまうことが多くなった。けじめもつけたかったし、出会った『キイハンター』のころの友達に戻りたかった」と理由を答えた。その後も、フジテレビ系『浅見光彦』シリーズ、テレビ朝日系『TRICK』シリーズなどドラマに数多く出演していたが、2014年(平成26年)に初期の肺腺癌と診断。手術したが、2015年(平成27年)に再発したため再手術で腫瘍摘出手術を行った。2016年(平成28年)秋からはドラマ『やすらぎの郷』の撮影に参加するも、癌が再発。体調が日に日に悪化する中、それを周囲に隠しながら2017年(平成29年)5月7日まで撮影を続行し、代役の効かない重要なシーンをすべて撮り終えた。しかし、5月8日に肺炎を併発して入院。以降は容態が回復することなく、6月13日午前8時5分、肺腺癌のため東京都内の病院で死去。享年81。


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存在感ある姑役や母親役で独自の地位を築いた野際陽子。NHKアナウンサーから女優という華麗な経歴を持ち、日本で初めてミニスカートを履いた女優としても有名である。平成以降、シリアスチックな『ずっとあなたが好きだった』から、コメディタッチの『ダブル・キッチン』『長男の嫁』等など、彼女が出演するドラマは軒並み高視聴率を記録。息子に甘く嫁に厳しい姑は当たり役となり、姑女優といえば野際陽子というイメージが定着するほどになった。晩年は人知れず癌と闘病し、自らの出演シーンを撮り終えてから黄泉へと旅立った野際陽子の墓は、静岡県駿東郡の冨士霊園にある。墓には「野際」とあり、背面に墓誌が刻む。戒名は「慈優院釋尼美陽」。

by oku-taka | 2023-12-05 17:18 | 俳優・女優 | Comments(0)