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清水邦夫(1936~2021)

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清水 邦夫(しみず くにお)

劇作家
1936年(昭和11年)〜2021年(令和3年)

1936年(昭和11年)、新潟県新井市(現在の妙高市)に生まれる。新潟県立高田高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部演劇科に入学。在学中に初戯曲『署名人』を発表し、注目を浴びる。1960年(昭和35年)、早稲田大学を卒業。岩波映画に入社し、羽仁進とともにシナリオを書いたが、1965年(昭和40年)に退社。劇作家として劇団「青俳」などに戯曲を提供する。1968年(昭和43年)、演出家の蜷川幸雄と現代人劇場を結成。1969年(昭和44年)、俳優座に提供した『狂人なおもて往生をとぐ』で劇界での地歩を固め、同年、蜷川の演出家デビュー作『真情あふるる軽薄さ』が反響を呼び、以降、蜷川と組んで清新な作品を次々と送り出し、反体制的な若者を描いた作品で新世代の旗手となった。1972年(昭和47年)、現代人劇場を「櫻社」に再編。同年、『ぼくらが非情の大河をくだる時』で岸田国士戯曲賞を受賞。1974年(昭和49年)、「櫻社」が解散。1976年(昭和51年)、妻で女優の松本典子らと共に演劇企画グループ「木冬社」を旗揚げ。自作の演出も数多く手がけ、ほぼ年 1回のペースで新作を上演。その他、俳優座、民藝、文学座などに戯曲を提供する一方で映画やテレビドラマ、ラジオドラマの脚本、小説の執筆活動も行う。1976年(昭和51年)、『夜よ おれを叫びと逆毛で充す青春の夜よ』で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。1979年(昭和54年)、『戯曲冒険小説』で第30回芸術選奨演劇部門・文部大臣新人賞を受賞。1980年(昭和55年)、『わが魂は輝く水なり―源平北越流誌』で泉鏡花文学賞とテアトロ演劇賞を受賞。1982年(昭和57年)、9年のブランクを経て蜷川との共同作業が復活。『タンゴ・冬の終わりに』では、ロンドン・ウェストエンドでイギリス人キャストによる上演を行った。1983年(昭和58年)、『エレジー~父の夢は舞う』で読売文学賞戯曲賞を受賞。1991年(平成3年)、『弟よ』で第41回芸術選奨演劇部門・文部大臣賞とテアトロ演劇賞を受賞。1992年(平成4年)、小説『華やかな川、囚われの心』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1994年(平成6年)、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科の教授に就任。2001年(平成13年)11月、結成25年で「木冬社」を解散。その後、東京・大山のサイスタジオで続けてきた小規模なプロデュース公演を継続した。2002年(平成14年)、紫綬褒章を受章。2008年(平成20年)、旭日小綬章を受章。2021年(令和2年)4月15日午前0時46分、老衰のため死去。享年84。


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唐十郎、別役実と並び、1960年代から70年代にかけての小劇場演劇を支えた清水邦夫。演出家の蜷川幸雄とコンビを組み、若者の苦悩やいら立ちを詩情豊かに描き、全共闘世代を中心に圧倒的な支持を受けた。蜷川とのコンビ解消後は、それまで以上により深い人間像を描くようになり、女優で妻の松本典子が清水作品を彩る看板役者となった。日本の演劇史に燦然と名を残す清水邦夫の墓は、静岡県駿東郡の冨士霊園「文學者之墓」にある。ここには、名前・生没年・代表作『わが魂は輝く水なり』が刻まれている。また、妻・松本典子も同地で眠りについている。

by oku-taka | 2023-10-09 01:15 | 映画・演劇関係者 | Comments(0)