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阪田寛夫(1925~2005)

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阪田 寛夫(さかた ひろお)

詩人・作家
1925年(大正14年)〜2005年(平成17年)

1925年(大正14年)、大阪府大阪市に生まれる。小学生時代、親族・周囲に宝塚ファンが多かったため、自身も幼い頃より晩年まで宝塚歌劇に親しむ。帝塚山学院小学校・大阪府立住吉中学校から旧制高知高等学校を経て東京帝国大学文学部美学科に入学。在学中に応召して中国に渡った。復員後、三浦朱門らとともに同人誌を創刊。その後、国史科に転じ、1951年(昭和26年)に大学を卒業。朝日放送に入社し、主にラジオ番組のプロデューサーとして制作に携わりながら、数多くの放送脚本を執筆。その後、編成局ラジオ制作部長、東京支社勤務を担当。1959年(昭和34年)、従兄で作曲家の大中恩から依頼を受け、NHKラジオ「うたのおばさん」放送開始10周年記念リサイタルの新曲として『サッちゃん』を作詞。以降、『おなかのへるうた』『ねこふんじゃった』『ともだち讃歌(リパブリック讃歌)』『そうだ村の村長さん』などの童謡を次々に作詞。1963年(昭和38年)には、従兄で作曲家の大中恩に「ウタの詩を書いて生活したい」と相談したところ、「詩をつくるなら仕事を辞めな、勤めてちゃ良い詩は書けないよ」と言われたことから、朝日放送を退社。以降10年間ほどNHKテレビ番組「歌のえほん」「みんなのうた」のために歌詞を書く。また、「音楽入門」で小説家としてもデビューした。1965年(昭和40年)、放送劇『狐に穴あり』で芸術祭奨励賞を受賞。同年、詩集『わたしの動物園』を出版。1967年(昭和42年)、『花子の旅行』で久保田万太郎賞を受賞。同年、合唱組曲『イソップ物語』で芸術祭奨励賞を受賞。1971年(昭和46年)、1月2日放送のNHK正月特番『うたえバンバン』のテーマソングとして『歌えバンバン』を作詞。1972年(昭和47年)8月25日にはキングレコードからシングル「歌はともだち」として発売され、1974年(昭和49年)に同作で第4回日本童謡賞を受賞した。1975年(昭和50年)、癌に侵された母の闘病と死を描いた小説『土の器』で第72回芥川賞を受賞。1980年(昭和55年)、小説『トラジイちゃんの冒険』で野間児童文芸賞を受賞。1984年(昭和59年)、評伝『わが小林一三―清く正しく美しく』で毎日出版文化賞を受賞。1986年(昭和61年)、巖谷小波文芸賞を受賞。1987年(昭和62年)に小説『海道東征』で川端康成文学賞受賞。1988年(昭和63年)、小説「天山」で日本芸術院文芸部門恩賜賞を受賞。1989年(平成元年)、詩人の先輩として尊敬していたまど・みちおに関するエッセイ「まどさんのうた」で赤い鳥文学賞特別賞を受賞。 1990年(平成2年)、日本芸術院の会員に選出。1995年(平成7年)、勲三等瑞宝章を受章。2005年(平成17年)3月22日午前8時4分、肺炎のため死去。享年79。


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芥川賞作家でありながら、数多くの童謡を作詞した阪田寛夫。『サッちゃん』を皮切りに、『おなかのへるうた』『ねこふんじゃった』『歌えバンバン』と、今なお愛される童謡を世に送り出した。その作品は、簡潔でわかりやすいうえに、ほのぼのとした柔らかさがあった。また、宝塚ファンとしても知られていたが、娘の大浦みずきが宝塚入りし、トップスターにまで上り詰めても、「娘だからこそ」と一評論家として公正・中立な視点、厳格な評価を貫いた。そんな阪田寛夫の墓は、静岡県駿東郡の冨士霊園「文學者之墓」にある。ここには、名前・生没年・代表作『土の器』が刻まれている。

by oku-taka | 2023-10-09 00:30 | 文学者 | Comments(0)