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国本武春(1960~2015)

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国本 武春(くにもと たけはる)

浪曲師
1960年(昭和35年)〜2015年(平成27年)

1960年(昭和35年)、千葉県香取郡下総町(現在の成田市滑川)に生まれる。本名は、加藤 武(かとう たけし)。父は天中軒龍月、母は国本晴美、祖父は加藤若衛(アマチュア)という浪曲一家で育つ。滑河小学校に在学時は、成績優秀ながらにガキ大将。歌も楽器も得意で、地域の音楽会では「かあさんの歌」を独唱し喝采を浴びた。学芸会では「弥次さん喜多さん」という芝居で弥次さんを演じ、こちらも大喝采となった。その後、私立成田高等学校付属中学校に入学。在学中に洋楽と出会い、ギターを購入。しかし、FM放送から流れるビル・モンローのブルーグラス音楽に衝撃を受け、中学校3年生の時にビル・モンローの東京公演で見たフラットマンドリンに夢中となる。高校に入ると、友人たちとブルーグラスバンド「寿ブラザーズ」を結成。敬老会や老人ホームの慰問、学校の文化祭で活躍した。その一方、友人の父親から津軽三味線を勧められ、1980年(昭和55年)に曲師の東家みさ子に師事し、浪曲三味線の稽古も始める。1981年(昭和56年)、みさ子の夫である東家幸楽に入門。“国本武春”を名乗り、浪曲師となる。入門後、浪曲界と観客の高齢化に危機感を抱き、後に“武春スタイル”と呼ばれた三味線弾き語りに活路を見出す。1982年(昭和57年)、上野本牧亭で初舞台。二年前に名人「東家みさこ」に浪曲三味線を習い前年にみさ子師匠の夫、東家幸楽に入門“国本武春”を名乗り浪曲師になっていた。入門後浪曲界と観客の高齢化に危機感をいだき“武春スタイル”三味線弾き語りに活路を見出す。1985年(昭和60年)、歌舞伎座「豪華浪曲大会」に出演。また、津軽三味線の佐藤通弘と共に津軽の歌がたり「うたざいもん」を始める。1986年(昭和61年)、津軽三味線全国大会に出場し、ディープ・パープルの曲を演奏する。1987年(昭和62年)、新作浪曲と古典の会「うなって語って錦糸町」を始める。同年、ジョン・ゾーンのプロデュースするライブアクト「若者」に参加するため渡米。ニューヨークとボストンで各国の先鋭的アーティストと共に公演し、ヴォイスパフォーマンスを披露する。この頃から三味線にギターのフレーズを取り入れた独自の奏法を開発し、ロックやR&Bに「語り」と三味線が合体したスタイルで作詞作曲を行うようになる。1990年(平成2年)、デビューCDアルバム『福助』をビクターよりリリース。コンサートツアーも行う。翌年にはセカンドアルバム『グレートヒット』、シングル『無礼者'91』をビクターを。リリース。1992年(平成4年)、近田春夫&ビブラストーンの2ndアルバム『Smile-Itユs not the end of the world』の収録曲「みんなおまえが悪いのさ」にゲストヴォーカルで参加。スピード感溢れるパワフルヴォーカルを聞かせる。1993年(平成5年)、フォーライフレコードに移籍し、2年ぶりの新作になる3rdアルバム『フォーライフ』をリリース。日本とパリでレコーディングし、パリではミキサーにボブマーレー、グレースジョーンズを手がけた、ゴドウィン・ロギーが参加。また、国本に注目するワールドミュージックの一流ミュージシャンがレコーディングに参加した。1994年(平成6年)、いとうせいこう、萩原健太&国本武春共同プロデュース作品として、16分10秒の超大作シングル『浪曲惑星 MY SHAMMY SIX~こぶしの道行き~浪曲惑星‘94』をリリース。1995年(平成7年)、『徹子の部屋』に出演。黒柳徹子と共に即興で「新・佐渡情話」を創作して話題になる。同年、文化庁芸術祭賞演芸部門新人賞、第12回浅草芸能大賞新人賞を受賞。1996年(平成8年)、ミュージカル『狸』において、音楽制作・出演・演奏の大役をこなす。1997年(平成9年)、NHK『トップランナー』に出演し、司会の大江千里とセッションを行い話題となる。また、『ミヤコ蝶々・名人劇場』全6公演に出演し、ここでも絶賛される。1998年(平成10年)、朝日新聞創刊120周年記念「オッペケペー」に林隆三と出演し、喝采を浴びる。1999年(平成11年)4月、NHKの演芸バラエティ番組『笑いがいちばん』の主題歌を担当。出演も兼ねる。6月、『佐倉義民伝~甚平の渡し』で花形演芸大賞の大賞を受賞。 同年、リサイタル「国本武春ワールド大博覧会」を行い絶賛される。また、音楽劇『ザ・忠臣蔵』に出演。音楽制作も担当した。2000年(平成12年)、第50回芸術選奨文部大臣新人賞(大衆芸能部門)を受賞。2002年(平成14年)、『松山鏡』で花形演芸大賞の大賞を受賞。同年、ブロードウェイミュージカル『太平洋序曲』(宮本亜門演出)に出演。客席のスタンディング・オヴェーションとブラボーの嵐を受け、新聞各紙で好評価を得る。ニューヨークタイムスでは辛口評論で有名なベン・ブラントレーに「話が進行する中で、まるでヴォードヴィル芸人的な堂々たるナレ一ター役の国本武春がつぼを押さえた注釈を加えている」と評された。また、テレビ東京系アニメ『アソボット戦記五九』のトンゴー役で声優デビュー。さらに、山村浩二が手かげた古典落語の名作『頭山』のアニメ版で語り手を担当。同作は、アカデミー賞の短編アニメ賞候補作品となった。2003年(平成15年)、文化庁による第一回文化交流使として米国テネシー州イーストテネシー州立大学に派遣。1年間にわたって活動し、60回あまり各地で公演を行った。2004年(平成16年)、米国の国本バンド「KUNIMOTO TAKEHARU & The Last Frontier」としてアルバム“アパラチアン三味線”を米国でリリース。2005年(平成17年)、NHK教育(現在のEテレ)の子供番組『にほんごであそぼ』に出演。うなりやベベン役で子供から人気を集めた。2010年(平成22年)12月、公演中に意識を失って入院。高熱を発し、脳にまでウイルスが到達。リハビリを経て5カ月後に舞台に復帰したが、後遺症として高次脳機能障害を患い、台本が覚えにくくなる。2012年(平成24年)、第33回松尾芸能賞優秀賞を受賞。2015年(平成27年)12月10日、毎年恒例の公演「国本武春の大忠臣蔵」のリハーサル中に体調不良を訴えて緊急入院。意識が回復することなく、12月24日午前4時頃、脳出血による急性呼吸不全のため東京都江東区の大学病院で死去。享年55。


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「うなるカリスマ」と呼ばれた浪曲師・国本武春。人気が下火の浪曲界において、忠臣蔵や民話・昔話などを題材にしたオリジナル作品を数々発表。また、従来にとどまらない三味線の弾き語りスタイルで、ロックやバラードを演奏するなど、次々に新時代の旋風を巻き起こした。浪曲の復権を目指してか、演芸番組のみならずドラマ、ミュージカル、アニメ声優と幅広く活動。特に、教育番組『にほんごであそぼ』のうなりやベベンは当たり役となった。その昔、フジテレビの深夜番組『世界の北野・足立区のたけし』において、「官能小説はどう読んでも興奮をするのか?」というテーマで浪曲を披露し、ビートたけしから絶賛されたこともあった。浪曲界の大黒柱的存在となっていた彼の急逝は、とても大きな痛手となった。国本武春の墓は、千葉県成田市の滑川墓苑にある。洋型の墓には「加藤家之墓」とあり、左側に墓誌が建つ。戒名は「与願院弦歌武道居士」。

by oku-taka | 2023-07-30 21:42 | 演芸人 | Comments(0)