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鈴木その子(1932~2000)

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鈴木 その子(すずき そのこ)

料理・美容研究家
1932年(昭和7年)〜2000年(平成12年)

1932年(昭和7年)、現在の東京都目黒区に生まれる。本名は、鈴木 荘能子。旧姓は、山中。生家は幅広く事業を営んでおり、子供たち一人ひとりにお手伝いがつく裕福な家庭環境で育つ。2歳になるとおままごとがわりに料理を始め、4〜5歳になった頃は、大抵のものが作れるようになっていたという。その後、山脇学園中学校・高等学校を経て、学習院女子短期大学の食品化学科に入学。卒業後、親のすすめで事業家の鈴木康郎と見合い結婚。以後、夫との間に一男一女をもうけ、主婦業に専念した。42歳のとき、父が死去。譲り受けた遺産を元手に、1974年(昭和49年)7月、銀座6丁目に新日本料理「トキノ」をオープンした。1976年(昭和51年)5月、息子がマンションのベランダから身を乗り出して友達を見送ろうとした際、貧血を起こしてベランダから転落死してしまう。極端な食べないダイエットの結果、体力が著しく落ちての事故であったことから、料理研究家が料理で息子を救えなかったと激しく後悔する。その後、料理と健康の関係についての研究に没頭し、「鈴木式(現在のSONOKO式)食事療法」を完成。半年後には、レストラン「トキノ」をリニューアルさせ、できるだけ農薬や添加物のない食材を選び、下処理で危険な因子を抜き取って、添加物の原型でもある油脂も一切使わず、美味しくて、安全で、正しい体重、理想のプロポーションがつくれるメニューを次々に開発した。店ではお客にダイエットの指導をし、効果を聞きながら、一心不乱に働いた。その結果、痩せていくお客が続出。効果に確信を得たその子は、永年独自で考案した鈴木式の食養理論と調理方法を著書『やせたい人は食べなさい』として1980年(昭和55)に出版し、100万部を売り上げるベストセラーとなった。1982年(昭和57年)、野菜菓子に関する製法特許を取得。1985年(昭和60年)には通信販売を開始するなど、「トキノ」はダイエットのカリスマが経営する健康食品会社として成長した。また、白米食を中心としたダイエット法の提唱者として、会社経営の他に各地で講演活動も行った。その一方、人々の化粧品に対する無知と、世の中に溢れるスキンケアやヘアケアの危険性に対する問題意識が高まり、自分の思う理想の化粧品づくりを目指そうと、1990年(平成2年)にスキンケアライン「トキノコスメ」を発表。美白化粧品も展開したことから、事業家としても注目を集めるようになる。1998年(平成10年)、テレビ番組『未来ナース』にレギュラー出演。渋谷などにいたガングロの女の子達を、お姫様のように白く変身させるコーナーで高い知名度を誇るようになる。また、その異様に白塗りした仮面のような顔と、テレビ番組出演の際に顔だけ集中的に照明で照らす方法により「美白の女王」として自らを演出。「鈴木その子=白肌」というイメージを広く定着させ、肌をいじめず内側から美肌をつくる「美容理論」の普及に力を注いだ。これにより、テレビ出演の機会も増え、独特の白塗りメイクとユーモアあふれる話術も受けて大ブレイクとなり、1999年(平成11年)から『笑っていいとも!』にも準レギュラーで出演。また、水着姿で週刊誌のグラビアに出演したりと、そのサービス精神も話題となった。また、美白化粧品「荘シリーズ」を世に送り出し、他社の研究成果に頼ることなく、オリジナルの製品を作り出すことにこだわり続けた。しかし、3月にイレウスを発症。これを機に体調を崩し気味となり、2000年(平成12年)9月頃からは風邪をひき、なかなか治らないまま、2〜3時間の睡眠で仕事をこなしていた。それでも、太っている人も痩せたように見えるファッションに挑み、10月パリ・コレクションに出品。そのデザインで“エヴェヌマン”の称号を獲得した。帰国後はさらに体調が悪化。車椅子で移動しながら仕事を続け、11月23日放送の『笑っていいとも!』では、収録中はしっかりしているようにみえたが、楽屋では支えがなければ立ち上がれない状態だったという。その後、年末の仕事に備え、体調回復のために2週間の予定で東京都内の病院に極秘入院。しかし、風邪をこじらせて肺炎を併発し、12月5日午前4時45分に死去。享年68。


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1990年代後半、「美白の女王」として一大ブームを巻き起こした鈴木その子。異様に白塗りした顔と、それをより際立たせる通称「その子ライト」でセンセーショナルを巻き起こし、バラエティー番組に引っ張りだことなった。しかしその裏には、最愛の息子を拒食症で亡くした経験から、食で悩める人々に救いの手をさしのべたいという強い思いがあった。間違いだらけのダイエットに歯止めをかけるべく独自のダイエット「やせたい人は食べなさい」を生み出し、誤った美白法や美容法を鵜呑みにしないよう警鐘を鳴らすため、自らを広告塔としてメディアに売り込むなど、孤軍奮闘で活動し続けた。過労が祟り、風邪をこじらせたことで命を落としてしまったが、没後20年を経た今もなお、人々の記憶の中に彼女の存在は色濃く記憶されていることだろう。鈴木その子の墓は、千葉県成田市の成田メモリアルパークにある。広大な敷地に建てられた白色基調の墓には、ライオンとともに墓誌のレリーフがはめられ、背面に墓誌が刻む。戒名は「白蓮院妙容日苑大姉」。

by oku-taka | 2023-07-30 20:39 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)