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安達明(1948~2011)

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安達 明(あだち あきら)

歌手
1948年(昭和23年)〜2011年(平成23年)

1948年(昭和23年)、福岡県北九州市八幡西区本城に生まれる。本名は、長田 晴夫。歌謡曲ファンだった父親に、流行歌手・岡晴夫から引用して「晴夫」と名付けられた。 その後、千葉県に転居。 13歳より、作曲家で編曲家の小杉仁三の下で週に1回、歌のレッスンを受ける。 1962年(昭和37年)3月1日、TBSテレビ「10人抜きのど自慢」第一回放送分において初代チャンピオンとなる。 その後、破れてチャンピオンの座は降りたが、間もなくしてジャニー喜多川よりスカウトされ、名和プロダクション内の養成所に参加し、ジャニーズとともにレッスンを受ける日々を送る。1963年(昭和38年)1月の第19回新春日劇ウエスタンカーニバルでは、ジャニーズの一員として伊東ゆかりのバックダンサーを務めたが、その後グループを抜け、ジャニー喜多川からも離れ、芸能事務所「国際アートセンター」に所属。1964年(昭和39年)5月、雑誌「女学生の友」連載ジュニア小説「潮風を待つ少女」(作:佐伯千秋)のイメージソングとして公募された詞に、恩師である遠藤実が曲をつけ、同名曲『潮風を待つ少女』で日本コロムビアからデビュー。芸名は小説の役名と同じ安達明となった。続いて8月に発売された2作目の『女学生』が大ヒット。同レコード会社所属の舟木一夫の弟分として、梶光夫、久保浩とともに二代目御三家とも呼ばれ、雑誌のバックアップもあって女学生のアイドルとして人気が爆発した。しかし、徐々に低迷し始め、1968年(昭和43年)に芸能界を引退。引退後は、本名でエレクトーン奏者となり、池袋などで弾き語りライブをしたほか、銀座7丁目の地下のスナック「ぎんざ 千倉」での弾き語り活動を経て、同じく銀座7丁目でクラブ「みずき」を経営。 同時に兄の建設会社で役員もしていた。 また、しばしばテレビ番組に招かれ、歌を披露することもあった。 2011年(平成23年)5月20日、死去。享年63。その訃報はメディアでは報じられず、埼玉県吉川市の地域情報サイトにおいてご子息から明らかにされた。


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青春歌謡の全盛期に梶光夫と人気を二分した安達明。ニカっとした笑顔に爽やかながらも憂いを感じるその歌声でアイドル的存在となり、『潮風を待つ少女』『女学生』『僕のカーネーション』といった名曲を残した。しかし、グループサウンズブームに押されてわずか4年で芸能界を引退。その後は時折りテレビに出て往年の美声を披露していたが、その活動もやがて遠ざかっていき、平成の世にひっそりとこの世を去った。青春歌謡のスターはいつの間にか消息を掴めなくなってしまった人が多く、安達明や叶修二のように人知れず鬼籍入りしているというケースがチラホラある。清廉さと若いことへの尊さを歌い上げたスターたちには、あまりに似つかわしい最期に感じられてしまい、大変寂しく思えてしまう。安達明の墓は、千葉県松戸市のサニーパーク松戸にある。洋型の墓には「長田家」とともに、安達明最大のヒット曲である『女学生』の歌詞 「うすむらさきの藤棚の 下で歌ったアベ・マリア」 が彫られ、下部には墓誌が刻む。戒名は、「康寛晴徳信士」。

by oku-taka | 2023-05-28 12:53 | 音楽家 | Comments(0)