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岡本敦郎(1924~2012)

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岡本 敦郎(おかもと あつお)

歌手
1924年(大正13年)〜2012年(平成24年)

1924年(大正13年)、北海道小樽市に生まれる。出生名は、尾加 一夫。幼少期は落ち着きのない子供であったことから、情操教育の一環として父よりピアノを与えられる。その後、父より「教師の免状が取れる学校でなければ進学は許さない」と言われたことから猛勉強し、武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)本科に入学。声楽科を卒業した後、1944年(昭和19年)に召集。終戦後、コロムビアのオーディションに応募して合格。1946年(昭和21年)、朝日新聞が企画した懸賞応募曲『朝はどこから』(安西愛子との共唱)でデビューした。その後、ヒットに恵まれなかったが、1950年(昭和25年)『白い花の咲く頃』が大ヒット。以降、『リラの花咲く頃』『チャペルの鐘』など、抒情的な味わいのあるヒット曲を続々と放ち、1952年(昭和27年)には第2回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。また、『あこがれの郵便馬車』のヒットを経て、1954年(昭和29年)にリリースした『高原列車は行く』は大ヒット。その後も『登山電車で』『自転車旅行』など、乗り物を題材とした曲を次々にヒットさせた。後年、歌手活動の傍ら音楽教師としても活躍。1980年(昭和55年)からは日本歌手協会の理事長を4年間務めた。1995年(平成7年)、戦後50年及び自身のコロムビア専属50年を記念し、同じく専属50年の並木路子・池真理子と共に新曲を発売し、日比谷公会堂でジョイントコンサートを行った。80歳を超えても『思い出のメロディー』(NHK)やテレビ東京の懐メロ番組へ出演していたが、2007年(平成19年)9月18日に脳梗塞のため入院。早期発見が幸いして投薬治療で回復し、2008年(平成20年)1月21日放送のNHK『ラジオ深夜便』で仕事復帰した。同年、第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。 2010年(平成22年)頃からは心臓の不調もあり仕事から遠ざかっていたが、2012年(平成24年)8月10日放送の『懐かしの昭和メロディ』(テレビ東京)へ出演。約2年半ぶりのテレビ出演となったが、これが生涯最後の仕事となった。同年12月28日、脳梗塞のため東京都西東京市の病院で死去。享年88。


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多くのラジオ歌謡と乗り物ソングを吹き込んだ岡本敦郎。デビュー曲『朝はどこから』を皮切りに、『白い花の咲く頃』『リラの花咲く頃』といった叙情的な作品から、『あこがれの郵便馬車』『高原列車は行く』といった溌剌ソングまで、数々のホームソングを大ヒットさせた。戦後を彩ったスター歌手が次々に世を去る中、最後の正統派歌手として80歳を超えても活躍していたが、晩年は脳梗塞に倒れ、徐々に一線を退いていったことは残念であった。数少なくなった戦後のスター歌手だっただけに、2013年(平成25年)の正月明けに接したその訃報には大変落胆し、また涙した。ミスターラジオ歌謡こと、岡本敦郎の墓は、東京都東村山市の小平霊園にある。墓には「岡本家」とあり、背面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2023-04-23 04:55 | 音楽家 | Comments(0)