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川本喜八郎(1925~2010)

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川本 喜八郎(かわもと きはちろう)

人形アニメーション作家
1925年(大正14年)〜2010年(平成22年)

1925年(大正14年)、現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷に生まれる。幼い頃から祖母と芝居見物をし、人形作りを楽しんだ。その後、旧制横浜高等工業学校(現在の横浜国立大学工学部)建築学科に入学。中村順平に師事し、1944年(昭和19年)に卒業。1946年(昭和21年)、東宝撮影所美術部に入社。『今ひとたびの』(五所平之助監督)、『戦争と平和』(山本薩夫・亀井文夫共同監督)『女優』(衣笠貞之助監督)など、松山崇らをサポートする美術スタッフとして参加するが、まもなく東宝争議に巻き込まれる。東宝の争議中から、松山の誘いで、飯沢匡が編集を担当する「アサヒグラフ」「玉石集」の人形を使った社会風刺写真制作に関わり、初めてプロとして人形をつくる。1950年(昭和25年)、『暁の脱走』(谷口千吉監督)を最後に東宝を解雇。フリーの人形美術家となったところを飯沢匡に見い出され、人形を使った出版物やCM製作などの仕事に取り組むようになる。1951年(昭和26年)、飯沢、土方重巳らとグループを作り、『トッパンの人形絵本』を制作。1952年(昭和27年)、アサヒビールのキャラクター「ほろにが君」や三ツ矢サイダーの「三ツ矢嬢」の人形化に携わる。それらは同社のPR雑誌であった「ほろにが通信」の表紙に使われ、さらにそれは中吊りポスターなどに掲載された。同年、イジー・トルンカの『皇帝の鴬』を見て衝撃を受け、人形を少しずつ動かしてコマ撮りする人形アニメーションの世界にのめり込む。1953年(昭和28年)、飯沢、土方、持永只仁、カメラマンの隅田雄二郎らと「人形芸術プロダクション」(NGプロ)を設立。アサヒビールのキャラクター「ほろにが君」を主人公とした企業PR映画『ほろにが君の魔術師』を制作し、日本で初めての人形アニメーションを生み出した。1954年(昭和29年)、飯沢、土方、隅田とともに、『あかずきんちゃん』『じゃっくとまめのき』『ぴーたーとおおかみ』『三びきのこぶた』などを出版。1957年(昭和32年)の『へんぜるとぐれーてる』まで、人形芸術プロダクション制作の下に、23冊が発行された。1956年(昭和31年)、人形映画製作所と電通映画社の下で『ちびくろさんぼのとらたいじ』、1957年(昭和32年)に『ちびくろさんぼとふたごのおとうと』『ふしぎな太鼓』、1958年(昭和33年)に『こぶとり』の制作に関わる。同年、人形を利用したテレビCMや広告、絵本などの制作会社「シバプロダクション」を設立。アサヒビールの他に、ミツワ石鹸などのCMやNHKの子ども向け番組『おかあさんといっしょ』のオープニングアニメ、『魔法のじゅうたん』のオープニングの人形アニメーションの制作に関わり、人形アニメーションへの注目を高めた。1962年(昭和37年)、シパプロダクションを退社。1963年(昭和38年)、チェコスロバキアに渡り、イジー・トルンカに師事する。その後、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ソ連、中央アジアと各国を渡り歩き、ユーリ・ノルシュテイン、ロマン・カチャーノフとも親交を深める。1967年(昭和42年)、NHK教育『なにしてあそぼう』の人形美術を担当。また、日本独自の伝統芸能の世界観を人形制作に取り入れ、『花折り』『犬儒戯画』『道成寺』といったアニメーションを次々に発表した。1971年(昭和46年)、NHK『おかあさんといっしょ』の「とんでけブッチー」の人形美術を担当。1972年(昭和47年)、人形アニメーション『鬼』で毎日映画コンクール大藤信郎賞とメルボルン国際映画祭特別賞を受賞。同年、岡本忠成と合同で作品上映会「パペットアニメーショウ」を開催。年1度のペースで第6回まで続いた。1973年(昭和48年)、NHK教育『ヤンヤンムウくん』の人形美術を担当。1976年(昭和51年)、NHK教育『おかあさんといっしょ』で「トム・チャム・ゴロンタ」の人形美術を担当。1980年(昭和55年)、人形アニメーション『火宅』でバルナ国際アニメーション映画祭グランプリを獲得。1981年(昭和56年)、演劇集団円の公演『おばけリンゴ』の舞台衣裳プランを担当。以後、舞台衣裳にも関わって行く。1982年(昭和57年)、NHK人形劇『三国志』の人形美術を担当。子ども向けの番組ながら大人の鑑賞に十分に堪える作品を制作した。1988年(昭和63年)、紫綬褒章を受章。同年、中国人形アニメーション『不射之射』を監督。1989年(平成元年)、日本チェコ合作人形アニメーション『いばら姫またはねむり姫』を監督。同年、劇団影法師と揚州人形劇団との日中合作大型人形劇『三国志』の人形美術を担当。1993年(平成5年)、NHK人形歴史スペクタクル『平家物語』の人形美術を担当。1995年(平成7年)、勲四等旭日小綬章を受章。1996年(平成8年)、日本アニメーション協会の会長に就任。2002年(平成14年)、連句アニメーション『冬の日』を総合監督として製作。同作で、毎日映画コンクール大藤信郎賞、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、デジタルコンテンツグランプリ芸術賞を受賞。同年、パリ市大勲章(銀賞)を受章。2007年(平成19年)3月25日、長野県飯田市に「川本喜八郎人形美術館」がオープン。2010年(平成22年)8月23日、肺炎のため死去。享年85。


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日本を代表する人形アニメーション作家、川本喜八郎。テレビ黎明期からNHKの人形劇を多く担当し、中でも『三国志』や『平家物語』は子供向けながら大人にも十分鑑賞に堪える作品として、今なお根強い支持を集めている。また、能や文楽といった日本の伝統芸能を取り入れた人形アニメーションを手がけ、国際的にも高く評価された。数多の賞に輝きながらも、自身は「人形はひとことでいえば神、お仕えするもの」と生前控えめに語っていた川本喜八郎の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。かつては「川本家之墓」に納められていたが、その後ご遺族の意向で墓じまいをされ、現在は多磨霊園の永代供養墓(合祀墓)に眠る。

by oku-taka | 2023-04-23 04:47 | テレビ・ラジオ関係者 | Comments(0)