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初代・三笑亭夢丸(1945~2015)

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初代・三笑亭 夢丸(さんしょうてい ゆめまる)

落語家・タレント
1945年(昭和20年)〜2015年(平成27年)

1945年(昭和20年)、神奈川県横浜市に生まれる。本名は、坂田 宏(さかた ひろし)。横浜市立金沢高等学校を卒業後の1964年(昭和39年)4月、三笑亭夢楽に入門。夢八を名乗る。1967年(昭和42年)8月、二ツ目に昇進。1969年(昭和44年)11月9日、日本テレビ『笑点』の座布団運びを翌年6月14日まで務める。この時期の『笑点』はチーム対抗制で、夢八は2代目三遊亭歌奴(後の3代目三遊亭圓歌)チームの担当だった。1978年(昭和53年)4月、真打に昇進。夢丸と改名する。その後、日本テレビ『ルックルックこんにちは』にリポーターとして出演。19年間リポーターを務め、国内外を問わず3,000か所以上を取材し、お茶の間に親しまれた。また、『11PM』(讀売テレビ)、『街角パラダイス』(TBS)、『3時のあなた』(フジテレビ)、『夢丸の日本列島つりある記』『アフターヌーンショー』(共にテレビ朝日)、『東京最新レポート』(テレビ東京)、『フィッシングナウ』(全国U局ネット)など精力的にテレビ出演を行い、10,000ケ所を上回る地域を訪問した。40歳でタレント活動を引退し、落語の活動に軸を移す。50代半ばすぎからはテレビ出演を控え、ライフワークとして演芸情報誌「東京かわら版」と編集長の大友浩(当時)の協力のもと、江戸を舞台にした古典題材の落語台本を一般公募。優秀作を「夢丸新江戸噺」として高座にかけた。応募資格はプロアマ問わず、台本の条件は「日本人が着物を着ていた時代を背景とする噺」。台本の公募は2001年から10年間続けられ、懸賞金(最優秀賞30万円)は夢丸自身が用意していた。2010年(平成22年)、右の鼻に違和感を覚え病院で検査をしたところ、中咽頭癌であることが判明。以降再発と転移を繰り返し、体調に考慮しながら高座に専念していた。2014年(平成26年)2月には浅草演芸ホールの主任を務めるまで回復したが、同年3月に喉の不調から出演を取りやめ、再び療養生活に入った。2015年(平成27年)、弟子の三笑亭夢吉の真打昇進に伴い、夢吉に夢丸の名前を譲ることを発表。しかし、同年3月7日午前5時40分、中咽頭癌のため東京都内の病院で死去。享年69。弟子の朝夢と、夢吉改め2代目夢丸の真打昇進を見届けること、自身が夢八に戻ることは叶わなかった。


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落語家というよりもリポーターとしてのイメージが強かった初代の三笑亭夢丸。19年間にわたってリポーターを務めた『ルックルックこんにちは』から始まった取材人生は、その後『11PM』『3時のあなた』『アフターヌーンショー』と続き、本格的に落語の世界へシフトするまで、多数のワイドショーやグルメ番組などで活躍。一時期は、三笑亭夢之助、木之元亮、菊田あや子といった中堅リポーターたちと並ぶ活躍っぷりであった。晩年は落語に力を入れるも、癌との闘いを強いられた初代三笑亭夢丸の墓は、東京都台東区の妙泉寺メモリアルガーデン上野にある。洋型の墓には「坂田 初代三笑亭夢丸ここに眠る」とあり、下部に墓誌が刻む。戒名は「興笑院夢褥宏舌居士」。

by oku-taka | 2023-04-16 15:29 | 演芸人 | Comments(0)