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中嶋弘子(1926~2021)

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中嶋 弘子(なかじま ひろこ)

ファッションデザイナー
1926年(大正15年)〜2021年(令和2年)

1926年(大正15年)、東京都に生まれる。終戦後、フランスで服飾について学び、日本に帰国後ファッションデザイナーとして働き始める。NHKのテレビ番組にも専門家として出演し、そこでディレクターの末盛憲彦の目に留まり、1959年(昭和34年)に放送作家の永六輔と作曲家の中村八大が手がけたNHKのバラエティー番組『午後のおしゃべり』の司会に抜擢される。この番組は、若い主婦層を対象にした午後のバラエティー番組として、「お見合」「結婚」「挨拶」 「編物」「やせる方法」など、女性にとって身近な話題をテーマに選び、歌と踊りとコントでつづった。特に、中島のテレビ慣れしていないたどたどしさと、頭を前ではなく右横にかしげてお辞儀する独特の仕草が上品であると人気となった。中島を司会にすることを強く推薦した永六輔は、後年当時を回想し「素人で、司会をやる気もない人のほうがかえってテレビに向いていると考えていたこと、またファッションデザイナーということでテレビ用の衣裳に困らないという思惑もあった」ことを語っている。1961年(昭和36年)、『午後のおしゃべり』と同じスタッフで立ち上げた歌と踊りと笑いでつづる本格バラエティー『夢であいましょう』でも司会を担当。「皆様こんばんは。中島弘子です」の小首をかしげる挨拶は一世を風靡した。1962年(昭和37年)、夫と協議離婚。このとき、「被告は『中島』の姓を称号使用してはならない」となったことから、中嶋弘子と改名する。1965年(昭和40年)、元国税庁長官で日本専売公社の総裁を務めていた阪田泰二と再婚。これを機に『夢であいましょう』を3月で降板した。以降はファッションデザイナーとして活躍し、有楽町ビルに「中嶋弘子ブティック」を開いた。また、1970年(昭和45年)からスタートしたNHKの若者向け音楽番組『ステージ101』の衣装を担当した。1977年(昭和52年)、阪田弘子名義で「阪田泰二の絵と文」を出版。ファッションデザイナーとしては80歳まで現役として活躍し、2021年(令和2年)7月18日、老衰のため東京都内の病院で死去。享年95。


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バラエティー『夢であいましょう』の司会者として、「皆様こんばんは。中嶋弘子です」の小首をかしげる挨拶で一世を風靡した中嶋弘子。本業がデザイナーの彼女にとって、テレビの仕事は不慣れなものだったが、そのたどたどしさと、頭を前ではなく横に傾げる気品さが視聴者に受けた。この番組の放送作家だった永六輔は、「あの人はいつまでたっても上手にならないでしょう」と語っていたが、芸達者な出演者たちといつまでも素人っぽさが抜けなかった中嶋弘子というコントラストが大変良かったように思う。番組降板後はファッションの世界に戻り、時折りテレビに出演しては当時の思い出を語るなどしていたが、2006年(平成18年)に放送された『思い出のメロディー』が最後に見た姿となった。その後は一切表舞台に出ることはなく、ひっそりと96歳の大往生を遂げた中嶋弘子の墓は、東京都台東区の谷中霊園にある。洋型の墓には「阪田泰ニ」とあり、背面に墓誌が刻む。戒名は「蓮雅院峯月弘源大姉」。

by oku-taka | 2023-02-26 21:33 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)