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渡邉暁雄(1919~1990)

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渡邉 暁雄(わたなべ あけお)

指揮者
1919年(大正8年)〜1990年(平成2年)

1919年(大正8年)、東京府に生まれる。幼少時より声楽家の母から音楽の手ほどきを受け、5歳でピアノを、10歳でヴァイオリンを始める。1940年(昭和15年)、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)本科器楽科ヴァイオリン専攻を卒業。研究科に進み、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者として活動する。1943年(昭和18年)、東京放送管弦楽団にヴァイオリニストとして所属。召集後もヴァイオリニストとして病院などを慰問していた。1945年(昭和20年)、指揮者に転向し、東京都フィルハーモニー管弦楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団)専属指揮者となる。1949年(昭和の 24年)、東京芸大助教授に就任。後進の指導にあたり、その門下からは、大町陽一郎、保科洋、三石精一、遠藤雅古、佐藤功太郎、岩城宏之、山本直純、矢崎彦太郎、小林研一郎、藤岡幸夫らを輩出した。1950年(昭和25年)、米国ジュリアード音楽院指揮科に留学。1956年(昭和31年)、日本フィルハーモニー交響楽団の創設に尽力し、初代常任指揮者に就任。指揮者としての活動は、バッハの『ミサ曲ロ短調』やシベリウスの作品を得意とし、世界で初めてシベリウス全交響曲のステレオ録音とデジタル初録音をそれぞれ行い、高い評価を得た。また、シベリウス以外にも北欧の作曲家をしばしば取り上げ、ニールセンやグリーグなどの演奏や録音を行った。こうした活動から、1958年(昭和33年)にフィンランド政府より第一級騎士獅子勲章、1960年(昭和35年)にはフランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエ・デザール・エ・レトル章を贈られた。1962年(昭和37年) 、東京藝術大学教授に就任。1966年(昭和41年)、日本指揮者協会の幹事長に就任。1968年(昭和43年)、日本芸術院賞を受賞。1970年(昭和45年)、京都市交響楽団の音楽監督と常任指揮者に就任。1972年(昭和47年)、東京都交響楽団音楽監督と常任指揮者に就任。同年、日フィル紛争が発生し、渡邉は東京都交響楽団の任期中でありながらも陰ながらに支援し続けた。1978年(昭和53年) 、日本フィルハーモニー交響楽団常任指揮者に復帰。同年、日本芸術院の会員に選出。1982年(昭和57年)、来日したヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。同年、モービル音楽賞を受賞。1984年(昭和59年)、日フィル紛争が解決。この功績により、日本フィルハーモニー交響楽団創立指揮者の称号が贈られた。同年、広島交響楽団の音楽監督と常任指揮者に就任。また、日本シベリウス協会を創設し、初代会長となった。1990年(平成2年)6月22日、死去。享年71。没後、従四位勲三等旭日中綬章を追贈された。


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日本を代表する指揮者の一人である渡邉暁雄。日本フィルの創立に参加し、シベリウスのスペシャリストとして長らく活躍。ドイツやオーストリアの作曲家が主流であった戦後日本のオーケストラにおいて、北欧出身の作曲家を積極的に取り上げた。また、後進の育成にも力を注ぎ、岩城宏之、山本直純、藤岡幸夫といった世界的音楽家を育てた。作曲家の松村禎三が「当時指揮者といえばえてして威丈高なライオンのような風貌を想像しがちだったが、渡邉氏は全く正反対の方であった」と語っていたように、指揮者らしからぬ物静かで穏やかな紳士的人柄で、多くの後輩から慕われた。エレガントな指揮による音楽を通して日本とフィンランドを結んだ渡邉暁雄の墓は、東京都台東区の谷中霊園にある。洋型の墓には「渡邉 AKEO.WATANABE」とあり、背面に墓誌が刻む。

by oku-taka | 2023-02-26 21:16 | 音楽家 | Comments(0)