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小泉清子(1918~2019)

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小泉 清子(こいずみ きよこ)

きもの研究家
1918年(大正7年)〜2019年(平成31年)

1918年(大正7年)、東京市下谷区(現在の東京都台東区)に生まれる。生家は、洋品店「鈴木シャツ被服店」を営んでおり、その影響もあって、幼い頃から和服に対する関心を持っていた。東京府立第一高等女学校を卒業後、日立に3日間だけ勤務した後、内務省に入省。ここで勤務をしながら、和装を学ぶ。1939年(昭和14年)、結婚。子供を2人もうけるが、夫は太平洋戦争中にフィリピンで戦死した。1947年(昭和22年)、子供を養うため、上野で呉服店「鈴乃屋」を開業。旧姓と母の名の字から「鈴乃屋」と名付けた。1950年(昭和25年)には株式会社「鈴乃屋」を設立し、社長に就任。一代で和服専門の大手に成長させ、苦難の末に会社を全国規模の呉服販売チェーンストアへと展開した。1963年(昭和38年)2月、「欧米きもの歩きメモリアルショー」を開催。以降、毎年制作テーマを定め、きものショーを連続開催する。同年、軽井沢で催した「鈴乃屋」の展示会に皇太子妃(現・上皇后)美智子の女官が訪れたことがきっかけで美智子との交流が始まり、翌年8月より美智子の着物のデザインを担当することになった。1971年(昭和46年)9月、「鈴乃屋きもの学院」を設立し、理事長に就任する。1979年(昭和54年)5月、NHKホールにおいて、きものショーとチャリティーを合体させたイベントを開催。以降、5年間にわたり毎年開催した。1983年(昭和58年)11月、外務省の要請により、10カ国に於いてきものショーを開催。こちらも10年間にわたって開催した。1984年(昭和59年)、NHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』で衣装考証を担当。以降、毎年NHKの大河ドラマにおいて衣装考証を務め、『花燃ゆ』まで計33作担当した。1985年(昭和60年)2月、「セイコきもの文化財団」を設立し、理事長に就任。同年4月、黄綬褒章を受章。1989年(平成元年)12月、全国商工会議所女性会連合会会長に就任。1990年(平成2年)、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』で衣装協力を務める。このドラマの原作者である橋田壽賀子と親交を深め、2007年(平成19年)には衣装考証での長年の貢献により、第15回橋田賞特別賞を受賞した。1991年(平成3年)に外務大臣表彰、1993年(平成5年)には文化庁長官表彰を受ける。1995年(平成7年)、株式会社「鈴乃屋」の代表取締役会長に就任。1997年(平成9年)、勲三等瑞宝章を受章。2005年(平成17年)、紀宮(黒田清子)の結婚披露宴の衣装を担当。2006年(平成18年)12月、第49代きもの博士に選出される。2007年(平成19年)、日本きもの連盟会長に就任。2011年(平成23年)3月、株式会社「鈴乃屋」取締役名誉会長に就任。2019年(平成31年)2月17日午後3時9分、老衰のため東京都内の病院で死去。享年100。



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「鈴乃屋」を和服専門の大手へと成長させ、一代で日本有数の全国チェーンにのし上げた小泉清子。小さな呉服店を営む傍ら、大河ドラマの衣装考証を32年にわたって担当。『独眼竜正宗』の黄金の胴服や『功名が辻』のパッチワークの打ち掛けなど、史実を踏まえながらも自由な発想で制作されたその衣装は、時に大きな話題となった。このほか、NHK朝の連続テレビ小説『澪つくし』やTBSの『渡る世間は鬼ばかり』など、市井を描いたドラマにおいても衣装を担当。また、着物を通じた海外との文化交流にも尽力。企業家としてだけでなく、生涯を通じて着物文化の素晴らしさを伝える活動に力を注いだ。夫を戦争で亡くし、二人の子供を育てるためにスタートした着物一筋のの天寿を全うした小泉清子の墓は、東京都台東区の寛永寺第二霊園にある。五輪塔の墓には「供養塔 小泉一族」とあり、右側に墓誌が建つ。戒名は、「芳鈴院清壽賢照清大姉」。

by oku-taka | 2023-02-01 23:19 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)