人気ブログランキング | 話題のタグを見る

河原崎長一郎(1939~2003)

河原崎長一郎(1939~2003)_f0368298_23055839.jpg


河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう)

俳優
1939年(昭和14年)〜2003年(平成15年)

1939年(昭和14年)、四代目河原崎長十郎と河原崎しづ江の長男として、東京府武蔵野町(現在の東京都武蔵野市)に生まれる。本名は、河原崎 統一(かわらざき とういち)。小学校1年のときに『お染七役』で初舞台を踏み、その後も子役として前身座の舞台に立つが、反抗期だった東京都立武蔵高等学校在学中に演じることが嫌になり、早稲田大学第一文学部に進学。画家になるなどと言い始めたため、長十郎の親友であった映画監督の内田吐夢と俳優の薄田研二が身柄を預かる形で、1961年(昭和36年)に東映京都と契約。『鉄火大名』で映画デビューを果たした。以後、東映で5年間準主役を続け、『ちいさこべ』『天草四郎時貞』などの東映作品30数本に出演。1963年(昭和38年)には『五番町夕霧楼』で佐久間良子演じる遊郭で働く主人公と心を通わせる若い僧役が高評価を受け、ブルーリボン助演男優賞を受賞した。1965年(昭和40年)、東映と契約。また、古巣の前進座に帰参し、研究生からスタートした。しかし、1968年(昭和43年)に長十郎が前進座を除名・退団するに及び、自らも退団。以降、『神々の深き欲望』『私が棄てた女』『櫛の火』などの映画に出演し、演技派の実力俳優として地位を確立。40代頃から、『マー姉ちゃん』『花へんろ』などで日本の良き優しい父親像や温かい庶民派の中年役を多く演じ、テレビドラマに欠かせない存在となった。1993年(平成5年)には、フジテレビ系列の昼ドラマ『花の咲く家』第3部で主演を務めたが、同年に多発性脳梗塞を発症。半年後に復帰したが、1998年(平成10年)糖尿病による合併症で左半身麻痺となる。2000年(平成12年)からは入院を余儀なくされ、療養生活を送っていた。2003年(平成15年)9月19日午後4時26分、急性心不全のため神奈川県内の病院で死去。享年64。


河原崎長一郎(1939~2003)_f0368298_23055938.jpg

河原崎長一郎(1939~2003)_f0368298_23055832.jpg

河原崎長一郎(1939~2003)_f0368298_23055945.jpg

河原崎三兄弟の長男として、人間味溢れる演技で親しまれた河原崎長一郎。特に、どことなく頼りない小市民の役を演じさせたら大変上手く、青島幸男主演の『いじわるばあさん』で見せた実に情けない息子役は当たり役となった。40代頃からは中年の父親がハマり役となり、ホームドラマには欠かせない存在となった。それだけに、50代で糖尿病に倒れ、一線を退かざるを得なくなってしまったのは残念である。河原崎長一郎の墓は、東京都葛飾区の妙源寺にある。三基あるうち、河原崎三兄弟が建立した真ん中の墓には「河原崎家之墓」とあり、右側面に父・長十郎の戒名が刻むが、母・しづ江と長一郎の戒名は刻まれていない。

by oku-taka | 2023-02-01 23:07 | 俳優・女優 | Comments(0)