人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山本安英(1902~1993)

山本安英(1902~1993)_f0368298_01512119.jpg

山本 安英(やまもと やすえ)

女優
1902年(明治35年)〜1993年(平成5年)

1902年(明治35年)、東京市神田に生まれる。本名は、山本千代(やまもと ちよ)。神奈川高等女学校(現在の神奈川学園高等学校)を卒業後の1921年(大正10年)、歌舞伎俳優の二代目市川左団次が主宰した「現代劇女優養成所」に入団。養成所では、後に新劇運動の中心となる小山内薫、土方与志の指導を受けた。同年12月、左団次一座の帝劇興行、小山内薫原作『第一の世界』で初舞台を踏む。1922年(大正11年)、ライオン歯磨に入社。舞台稽古の傍ら、ライオン児童歯科院で口腔衛生婦として働いていたが、1924年(大正13年)小山内、土方によって創設された「築地小劇場」の創立に参加。第1回研究生として内外戯曲117編のうち67編に主演し、「築地の娘」「新劇の聖女」と呼ばれて新劇の基礎を築いた。1928年(昭和3年)12月、小山内が急逝。まもなく、劇団内部で土方を排除する動きが活発になり、1929年(昭和4年)3月25日に土方を支持する丸山定夫、薄田研二、伊藤晃一、高橋豊子、細川知歌子らと「築地小劇場」を脱退し、同年4月には「新築地劇団」の創立に参加。同劇場は、1931年(昭和6年)に日本プロレタリア演劇同盟に加盟し、東京左翼劇場とともに、築地小劇場を拠点したプロレタリア演劇運動を展開した。山本は、『何が彼女をさうさせたか』『女人哀詞』『土』などでリアルな演技を披露し、絶賛を博したが、1940年(昭和15年)8月に「社会主義的色彩の濃い赤の思想で国情に適さない」という理由から「治安維持法」により新築地劇団と新協劇団は強制解散させられる。そのため、日本で最初の声優養成所で、NHK内にある「東京放送劇団養成所」の専属講師となり、加藤道子、七尾伶子、中村紀子子らを指導した一方、放送劇や朗読の分野で活躍した。1947年(昭和22年)4月、木下順二,岡倉士朗,山田肇らと「ぶどうの会」を結成。スタニスラフスキー・システムを基本理念とし、若い俳優志望者の養成にあたった。1949年(昭和24年)、佐渡の民話集から木下自身が文学化した「鶴女房」をベースに、木下が山本のためにと書き下ろした戯曲『夕鶴』に主演。以後、主役の"つう"は生涯の当たり役となり、1951年(昭和26年)には同作の演技が高く評価され、第1回芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1964年(昭和39年)に「ぶどうの会」を解散し、1965年(昭和40年)「山本安英の会」を主宰。山本一人が会員という形式で活動し、木下の戯曲や民話劇を演じ続けた。1967年(昭和42年)12月、「直接的には新劇のせりふ術、朗読術確立のために、また全体としては芸術創造のことばとしての日本語の表現力を高め、発展させるために役立つ研究と討論を行なう」ことを趣旨とした「ことばの勉強会」を開催。「いらっしゃいませ」という山本のことばで始まるこの会は、毎月第三木曜日に開かれ、講師も多方面にわたって錚々たる面々が参加。「日本古典の原文による朗読はどこまで可能か、そして朗読術、地域語(方言の問題)」の三本柱で、26年にわたって第279回まで続けた。1974年(昭和49年)、半世紀に及ぶ演劇活動が評価され、朝日文化賞を受賞。 1979年(昭和54年)、新劇だけでなく、能、狂言、歌舞伎その他諸々のジャンルを融合させ、独誦から俳優全員による合誦までを自在に組み合わせた「群読」という独特の朗読形式を導入した木下作『子午線の祀り』に出演。ジャンルを越えた出演者が源氏と平家両軍を物語るもので、山本は現実と超現実をつなぐ影身の内侍を演じ、第五次公演157回まで出演した。1984年(昭和59年)7月25日、『夕鶴』が福島市公会堂での公演で1000回を達成。その後も、「一千回達成記念公演」を全国各地で公演した。初演から1986年(昭和61年)までの37年間に上演回数1037回の記録を打ち立て、1990年(平成2年)に森光子の『放浪記』に抜かれるまでロングラン上演回数のトップであった。1993年(平成5年)10月20日、急性呼吸不全のため東京都文京区千駄木の自宅で死去。享年92。


山本安英(1902~1993)_f0368298_01512141.jpg

山本安英(1902~1993)_f0368298_01512009.jpg

山本安英(1902~1993)_f0368298_01512208.jpg

日本における新劇女優の草分け的存在の山本安英。日本語の美しい発音・発声・表現にこだわり、劇作家・木下順二と二人三脚で舞台に立ち続けた。特に、ライフワークとなった『夕鶴』は、初演から約37年間にわたって主役の「おつう」を演じ、上演回数1037回の金字塔を打ち立てた。漫画『ガラスの仮面』に登場する大女優・月影千草のモデルと言われていながら、映画やテレビドラマに出ることがなかった為、このカリスマ女優の存在を知る人が今や少ないのが大変残念である。年齢が世間に知られるのが嫌だからと、栄典や賞にはこだわらず、ただひたすらに美しい日本語の芝居を極め続けた山本安英の墓は、東京都文京区の蓮光寺にある。レンガ色の細長い長方形の墓標には「山本安英ここに眠る」とあり、背面に墓誌が刻む。

Commented by 安っ恵 at 2024-09-13 10:46 x
誰写真のやつ?
by oku-taka | 2023-01-29 01:54 | 俳優・女優 | Comments(1)