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都家かつ江(1909~1983)

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都家 かつ江(みやこや かつえ)

三味線漫談家
1909年(明治42年)〜1983年(昭和58年)

1909年(明治42年)、演芸一座の座長だった都家四郎の娘として東京府東京市浅草区日本堤に生まれる。本名は、利根谷 タキ(とねや たき)。1912年(明治45年)、父が主催の演芸団で初舞台。その後、玉姫小学校に入学。母の意向で、堅気の娘として育てられたが、芸人への夢が断ち切れず、父の知人の一座等で役者として舞台に出演し、「娘手踊り」や「子供手踊り」を演じる。13歳のとき、芸名を都家勝代とし、芝居や歌、三味線の修行に身を入れ始める。1927年(昭和2年)、俳優の清川滝三郎と結婚。その後も夫婦で役者として活動していたが、ある劇場で漫才コンビが出演できなくなり、興行主から依頼されて即興の夫婦漫才をしたところ評判となり、夫婦漫才『都家福丸・香津代』を結成。1931年(昭和6年)には日本演芸協会に入会し、その後、落語協会に移籍。落語の勢力が強かった当時の寄席において、三味線片手の妻が夫をやり込めるという女性優位スタイルの音曲漫才で活躍した。1947年(昭和22年)、夫の都家福丸が急性肺炎のため死去。一人娘が2代目福丸を襲名し、親子漫才に転換。この頃に芸名を都家かつ江と改めたが、1950年(昭和25年)に芸の不振のためコンビを解消。作家・玉川一郎の薦めで『一人トーキー』と称してピン芸人となるが、まもなく三味線漫談家に転身。三味線を用いた世相漫談や都々逸などが評判になり、数多くのテレビやラジオに出演。女優としても積極的に活躍し、テレビドラマ『新五捕物帳』の「とよ」役と、『3年B組金八先生』第1シリーズ「池内シカ」役は当たり役となった。また、ラジオ番組『大沢悠里ののんびりワイド』(TBSラジオ)では、大沢悠里との名コンビで知られ、看板コーナーお色気大賞では初代の相方を務めた。1983年(昭和58年)9月29日、脳軟化症のため死去。享年74。


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スケールの大きい芸風と毒舌で世相と身近な話題を斬りまくるところから、『女三亀松』の異名を取った都家かつ江。その話芸で、テレビやラジオにひっぱりだことなったが、彼女は終生寄席にこだわり、それを全うした芸人人生であった。個人的には、『3年B組金八先生』第1シリーズの粋なおばあちゃん、池内シカ役が大変印象に残っている。都家かつ江の墓は、東京都文京区の海蔵寺にある。墓には「利根谷家之墓」とあり、墓誌はないが「都家かつ江」の碑が建つ。なお、墓所入口には、一周忌を期して建立された「都家かつ江之碑」がある。こちらを彼女の墓として紹介されてるサイトがあるが、墓ではなくモニュメントである。このモニュメントには、愛用の三味線撥が納められ、左側面に夫の福丸がかつ江に捧げた句、右側面には森繁久彌による献句が刻まれている。戒名は、「芸照院真徹妙薫大姉」。

by oku-taka | 2023-01-09 19:10 | 演芸人 | Comments(0)