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池野成(1931~2004)

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池野 成(いけの せい)

作曲家
1931年(昭和6年)〜2004年(平成16年)

1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。まもなく、司法官である父の転勤に伴い、東京に移る。旧制青山中学校在学中はラグビー部のキャプテンを務めていたが、作曲家で後に伊福部昭門下生になる今井重幸氏と出会い、音楽に目覚める。東京音楽学校に入学後、池内友次郎と伊福部昭に師事。芸大管弦楽部では打楽器を担当した。1952年(昭和27年)、『序奏と交響的アレグロ』が第21回日本音楽コンクール管弦楽曲部門第2位に入選。山田和男(一雄)指揮でNHK交響楽団により演奏される。1953年(昭和28年)、江口隆哉・宮操子舞踊団により発表された舞踊曲『作品七番』を、演奏会用作品『ダンス・コンセルタンテ』に改作。上田仁指揮による東京交響楽団第58回定期公演において演奏され注目を集める。同年、伊福部が退任したのに伴い東京藝術大学を中退。1954年(昭和29年)、映画『ゴジラ』の音楽で伊福部のアシスタントを務める。1956年(昭和31年)、映画監督の吉村公三郎より、映画『稼ぐ日』の映画音楽を依頼される。続く『夜の河』『夜の蝶』での仕事が多くの監督に注目され、以降、川島雄三監督の『雁の寺』 、山本薩夫監督の『白い巨塔』 、黒田義之監督の『妖怪大戦争』 (1968年) など、数多くの映画音楽を手がける。1974年(昭和49年)、東京音楽大学の講師に就任し、作曲及び管弦楽法を担当。その後、東京藝術大学でも講師を務め、和田薫、藤田崇文ら後進の育成に力を注いだ。また、東京音楽大学付属民族音楽研究所において所長であった伊福部の下で研究員としても勤務した。1983年(昭和58年)、ヴァイオリン協奏曲『ラプソディア・コンチェルタンテ』で文化庁芸術祭に参加。1993年(平成5年)頃から体調が悪化。1997年(平成9年)、東京音楽大学を退職し、かねてより憧れていたスペインに移住。遺作となる『Divertimento』を作曲した。2004年(平成16年)、帰国。8月13日、肺癌のため死去。享年73。


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映画音楽の大家・池野成。純音楽に関しては寡作であったが、映画音楽においては、吉村公三郎、川島雄三、山本薩夫ら日本映画を代表する名匠たちから厚い信頼を得て、実に300本近くの作品に楽曲を提供した。これほどの巨匠でありながら、優しい人柄で温厚な性格であった為なのか、あまり語られることが少ない作曲家である。池野成の墓は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園にある。墓には「池野家」とあり、反対側に墓誌が建つ。

Commented by すずきみゆき at 2023-11-16 18:45 x
はじめまして。
大学で池野成先生の管弦楽概論を履修した後、次の年も聴講させて頂き、3年次と4年次には池野先生に作曲の実技レッスンをみて頂きました。
動けるうちに先生のお墓参りをしたいと思い立ち、11月4日に雑司ヶ谷霊園に行ってきました。

管理事務所へ行って検索して頂きましたが、「池野成」では見つからなくて、「池野家」だと沢山ありました。
仕方なく、管理事務所の裏側を探しましたが、池野成先生が眠る池野家のお墓が見つかりませんでした。
あと10回は探しに行かないと、霊園が広くて見つけられなさそうです(笑)

お墓の写真を載せてくださり有難うございます。これで随分探しやすくなります。
by oku-taka | 2023-01-01 23:19 | 音楽家 | Comments(1)