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瑳川哲朗(1937~2021)

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瑳川 哲朗(さがわ てつろう)

俳優
1937年(昭和12年)〜2021年(令和3年)

1937年(昭和12年)、千葉県館山市に生まれる。本名は、勝野 忠孝(かつの ただたか)。旧姓は、田辺。早稲田大学在学中にシェイクスピアやギリシャ演劇などの西洋演劇に惹かれ、舞台俳優を志す。1959年(昭和34年)、大学卒業と同時に「劇団青俳」へ入団。1963年(昭和38年)、「劇団青俳」を退団。「伊達京史」の名でテレビドラマに脇役としてデビュー。1964年(昭和39年)、「瑳川哲朗」に改名。1965年(昭和40年)、東宝演劇部に所属。数々の舞台に出演した。1967年(昭和42年)、NHKの大河ドラマ『三姉妹』に出演。近藤勇役で起用されて注目を浴び、1969年(昭和44年)のNHKドラマ『鞍馬天狗』にも近藤勇役で出演。この年の『第20回紅白歌合戦』にも近藤勇として出演し、ステージで殺陣を披露した。一方、前年の1968年(昭和43年)、東宝演劇部を退部。1970年(昭和45年)、時代劇ドラマ『大江戸捜査網』に井坂十蔵役として出演。同作はシリーズを重ねる中で、主役が杉良太郎から里見浩太朗、松方弘樹と変わり、他のメンバーもマイナーチェンジ、フルチェンジとなったが、井坂十蔵だけは約15年間ずっと瑳川が出演し続け、当たり役となった。1972年(昭和47年)、特撮テレビドラマ『ウルトラマンA』に竜五郎隊長役で出演。1974年(昭和49年)には『ウルトラマンレオ』でナレーターを務めた。また、洋画や海外ドラマの吹き替えも務め、ショーン・コネリーやヘンリー・フォンダの声を担当。山田康雄の死後には、クリント・イーストウッドの吹き替えをいくつかの作品で担当した。1989年(平成元年)2月、港区赤坂に客席数250名の小劇場「シアターVアカサカ」を設立。20年の運営を経て2008年(平成20年)6月に退任し、劇場そのものは売却された。2009年(平成21年)、9月、蜷川幸雄演出の舞台で約9時間の大作『コースト・オブ・ユートピア―ユートピアの岸へ』に出演。以降、蜷川幸雄演出・松岡和子訳版の舞台「彩の国シェイクスピア・シリーズ」に晩年まで活躍した。2021年(令和3年)2月17日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため東京都内の高齢者施設で死去。享年84。


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硬派な脇役としてテレビドラマに存在感を残した瑳川哲朗。一連のNHKドラマで見せた近藤勇、『大江戸捜査網』の隠密同心・伊坂十蔵、特撮ドラマ『ウルトラマンA』TACの竜隊長と3つの当たり役を持ち、いずれも人気を博した。吹き替えでも実績を残し、初めてNHKで『刑事コロンボ』を放送したときの第一回「殺人処方箋」では、犯人を演じたレイ・フレミングの声をあてた。あの重厚な低音ボイスで「 同じく 井坂十蔵!」と登場するシーンが懐かしく思い出される瑳川哲朗の墓は、東京都港区の長谷寺にある。墓には「勝野」とあり、左に夫妻の写真と略歴が刻まれたレリーフ、右側に墓誌がある。戒名は「千相院優伶能演居士」。

by oku-taka | 2022-12-04 19:52 | 俳優・女優 | Comments(0)