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荒木伸吾(1938~2011)

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荒木 伸吾(あらき しんご)

アニメーター
1938年(昭和13年)〜2011年(平成23年)

1938年(昭和13年)、愛知県名古屋市に生まれる。中学卒業後、日本車輌製造に勤務するが、さいとうたかを、辰巳ヨシヒロの影響を受けて漫画の執筆をはじめる。1955年(昭和30年)、貸本劇画誌『街』(セントラル文庫)の新人コンクールで入賞し、漫画家としてデビューする。その後、昼は工場で働きながら、『街』や『顔』(エンゼル文庫)などの貸本劇画誌に約60本の短編を執筆する。しかし、漫画で生計を立てることは出来ず、22歳頃から1年ほどCMのコンテを描く仕事に従事した後、貸本漫画家仲間で先に虫プロダクションに入っていた真崎守の誘いで、1964年(昭和39年)に虫プロダクションへ入社。テレビアニメ『ジャングル大帝』でアニメーターへの転身を果たした。虫プロダクションは1年ほどで退社して、1966年(昭和41年)に作画スタジオ「ジャガード」を斎藤博ら仲間数人で発足。ジャガードは虫プロダクションの作品とともに東京ムービーの作品の作画も手がけており、荒木も楠部大吉郎作画監督の下で『巨人の星』の劇画タッチの作画に挑戦し、劇中の一つのクライマックスになる星飛雄馬の大リーグボール1号を花形満が打ち返すパースを強調させたシーンの作画は語り草となった。1970年(昭和45年)、虫プロダクションで杉野昭夫、金山明博との3人共同で『あしたのジョー』の作画監督を担当。また、この年から『キックの鬼』『魔法のマコちゃん』で作画監督をしたのを手始めに東映動画作品にも参加するようになった。1971年(昭和46年)、友人とスタジオZを設立。1973年(昭和48年)、フリーに転身。また、テレビアニメ『バビル2世』で初のキャラクターデザインを任された。さらに東映動画では、『キューティーハニー』、『魔女っ子メグちゃん』、『少年徳川家康』『UFOロボ グレンダイザー』、『惑星ロボ ダンガードA』と立て続けに東映動画作品のキャラクターデザインをして、荒木の名を印象付けた。特に『惑星ロボ ダンガードA』の男性キャラクターのトニー・ハーケンは女性ファンの支持を得た。この間、倒産したジャガードに代わり1974年(昭和49年)に荒木プロダクションを設立。設立時からのメンバーである姫野美智を片腕として、姫野の少女漫画的な華麗なタッチが荒木の作風に加わった。1979年(昭和54年)、東京ムービー作品『ベルサイユのばら』を担当。ここでも、演出面での高い要求に答えた。1980年(昭和55年)、同じく東京ムービーでフランスとの合作作品『宇宙伝説ユリシーズ31』『ルパン8世』『ガジェット警部』『シャンソン・ノノ』『ヒースクリフ』を手がける。日本国内では目立った仕事がなかったが、フランスとの仕事ではソフトな演技を学び、後の仕事に役立ったという。1986年(昭和61年)、車田正美原作の『聖闘士星矢』のテレビアニメ化を担当。当作は3年間にわたって放送され、自他ともに認める代表作となり、荒木の作風の人気に再び火がついた。その後は車田作品の『リングにかけろ1』・『風魔の小次郎』に加え、横山光輝作品の『横山光輝 三国志』など、多くのキャラクターデザインを手がけるようになった。この人気を背景に、荒木・姫野のオリジナルキャラクターデザインによるコンピュータゲーム『BURAI』(1989年)と『KIGEN 輝きの覇者』(1991年)が発売された。『聖闘士星矢』以降も荒木は東映動画作品を主としてキャラクターデザインを続けたが、作画監督を務めることは少なくなっていった。2000年代後半に持病の悪化などで体調を崩し、一線からは離れるものの、創作への熱意は衰えることなく、自作の漫画を描き続けた他、ウォーキングやスイミングなどで体を鍛え、驚異的な回復力を見せて医者や家族を驚かせた。 2010年(平成22年)8月には公式サイトを開設。45年ぶりに作成中の漫画作品『Sourire』のサンプルを数ページほど公開した。2011年(平成23年)11月30日、近所のプールでケノビの練習中に溺れて日大板橋病院に救急搬送。意識が戻らないまま、12月1日午前1時21分、急性循環不全のため死去。享年73。


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端正な美形キャラクターの作画を得意とし、1970年代のアニメ界において地位を確立した荒木伸吾。柔らかくて美しい曲線の髪、強い目力、鼻筋の通った顔、メリハリを強調したフォルムの人体、鬼気迫った表情など、特徴的なキャラクターを多く作画。『巨人の星』『あしたのジョー』における劇画タッチの作画や、『キューティーハニー』『魔女っ子メグちゃん』の可憐なキャラクター、少女マンガのタッチを取り入れて美形キャラ路線を推し進めた『惑星ロボダンガードA』、従来のスタイルに回帰して2000年代以降も続編を制作する人気シリーズとなった『聖闘士星矢』など、手がけた作品のほとんどが日本アニメ史に残る人気作となった。不慮の事故という形であまりに突然旅立ってしまった伝説的なアニメーター・荒木伸吾の墓は、東京都港区の玉窓寺墓地にある。洋型の墓には「荒木家」とあり、左側に荒木が描いた男の子の絵が背面に刻まれた墓誌が建つ。戒名は「漫樂院釋慈伸」。

by oku-taka | 2022-11-26 16:47 | テレビ・ラジオ関係者 | Comments(0)