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さいとう・たかを(1936~2021)

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さいとう・たかを

劇画家
1936年(昭和11年)〜2021年(令和3年)

1936年(昭和11年)、和歌山県和歌山市に生まれる。本名は、齊藤 隆夫(さいとう たかお)。生後まもなく転居し、大阪府堺市に移り住む。父親は理髪店を営んでいたが、写真家・画家・彫刻家などを目指しては挫折し、やがて出奔して家を出ていった。理髪店は母親が営み、女手一つで子供を育てたが、これを機に芸術関係の仕事を人一倍嫌悪し、父親の絵を何の躊躇もなくかまどにくべて焼き「男が芸術で食べていけるわけが無い」と吐き捨てた。小さい頃は図画工作(美術)科目とケンカが得意の不良少年であり、将来の夢はボクサーか画家になることであった。中学時代には府の絵画展で金賞を獲得している。1950年(昭和25年)、堺市立福泉中学校を卒業し、実家の理髪店で働き始める。当時は漫画に興味がなく、将来の夢は挿絵画家だったが、挿絵業界は今後狭まっていく、あるいは自分の考えている方向とは違う方に行くだろうという漠然とした不安感から、当時はまっていた映画や進駐軍が持ち込んだ「10セント・コミックス」に影響を受け、ストーリー漫画を志す。同時期に手塚治虫の『新寶島』を見て衝撃を受け、「紙で映画が作れる!」と興奮したという。1952年(昭和27年)、家業である理髪店を姉と継ぐが、1955年(昭和30年)仕事の合間に2年近く掛けて描いたストーリー漫画『空気男爵』を大阪の貸本出版社日の丸文庫に持ち込む。等倍の紙に漫画を描いたため、社長の山田秀三にダメ出しされるが、一年かけて書き直し、デビューが決まる。それ以降、日の丸文庫の看板漫画家として単行本を次々と発表する。1956年(昭和31年)には漫画に専念するために家業の理髪店を辞めるが、母親は激怒して漫画を親の仇であるかのごとく嫌うようになった。さいとうが大成した後も、送ったゴルゴ13の単行本を見もせずに即刻焼却し、その挙句、死の床にあっても単行本に指一つ触れようとしないどころか視界から背け、和解を拒むなど、さいとうのことを最期まで認めず、同時に許さなかった。このことはさいとうも気にしているようで、執筆室には仕事をしているさいとうに向かい合うように亡母の写真が飾られていた。同年、辰巳ヨシヒロや松本正彦らと同じアパートで共同生活を送りながら漫画を描き始める。1958年(昭和33年)、先輩漫画家の久呂田まさみに連れられて上京。東京都国分寺市のアパートに居を構える。1959年(昭和34年)、国分寺に居住していた日の丸文庫系劇画家のさいとう、辰巳ヨシヒロ、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、松本正彦ら8人で劇画制作集団「劇画工房」を結成。人気劇画家の制作集団とあって貸本出版社からの執筆依頼が殺到して多数の貸本劇画短編集を出版するが、組織論や仕事配分、ギャラの分配などで揉め、翌年の春に分裂した。「劇画工房」の分裂後、佐藤まさあき、川崎のぼる、南波健二、ありかわ栄一ら、ガンアクション系の劇画家5人で「新・劇画工房」の設立を計画するも頓挫。その計画を元に、1960年(昭和35年)東京都国分寺市に自らの漫画制作会社「さいとう・プロダクション」を設立。さいとうの「漫画制作に分業体制や脚本部門を置く」という組織論に共鳴していた石川フミヤスらがスタッフに加わり、さいとうの兄の斉藤發司がマネージャーを務めることになる。以後、多数の貸本劇画を出版。中でも『台風五郎』はシリーズ化され人気を博した。1962年(昭和37年)、貸本劇画家有志と「劇画集団」を設立。メンバーはさいとう、横山まさみち、永島慎二、南波健二、石川フミヤス、ありかわ栄一、旭丘光志、都島京弥、いばら美喜、山田節子、武本サブロー、影丸譲也、など。もっとも、この団体は漫画制作を目的とした新・旧劇画工房とは違って劇画家の親睦のための団体であり、一般読者会員にも会報などを発行していた。貸本業界が傾き始めた1963年(昭和38年)、ボーイズライフ連載の『007』のコミカライズを機に一般漫画誌に本格進出。1967年(昭和42年)には時代劇アクション劇画『無用ノ介』(『週刊少年マガジン』)を連載。劇画路線の『マガジン』を代表するヒット作となった。1968年(昭和43年)、10月より連載開始した『ゴルゴ13』(『ビッグコミック』)は、さいとうにとっての代表作となり、日本における「劇画」の代名詞となる。『ゴルゴ13』は現在も連載中の長寿漫画であり、1976年(昭和51年)1月に1975年度小学館漫画賞の青年一般部門、2005年(平成17年)1月に2004年度小学館漫画賞の審査委員特別賞を受賞し、2021年(令和3年)7月には「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。21世紀に入ると、『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』の3作の長期連載を軸に活動。大ベテランとなっても月産150ページ以上の旺盛な執筆活動を展開した。2003年(平成15年)、紫綬褒章を受章。2010年(平成22年)には旭日小綬章を受章した。しかし、2008年(平成20年)に武本サブロー、2014年(平成26年)に石川フミヤスと、長年にわたって仕事を支えてきたチーフアシスタントが相次いで死去。さいとうの作業量が増加し、そのため2015年(平成27年)2月に体力的な負担を理由として『仕掛人・藤枝梅安』の休載を決定した。残り2作品の連載執筆に専念しつつ(これらもページ数を減らしている)、『梅安』再開も模索したが、結局体力の限界を理由に2016年(平成28年)3月『梅安』連載終了を告知した。また2020年(令和2年)5月には、10人以上のスタッフが1か所に集まって作画作業を行うことで、新型コロナウイルス感染リスクが高まることに配慮し、『ゴルゴ13』も52年目にして初の休載が決定した。そうした状況であったが、2021年(令和2年)7月から『ビッグコミック増刊号』にて、『ゴルゴ13』のスピンオフ作品である『銃器職人・デイブ』の連載を開始している。しかし、2021年(令和2年)9月24日午前10時42分、膵臓癌のため死去。享年84。没後、正六位に叙することが決定。連載中だった『ゴルゴ13』については、「自分抜きでも続いていってほしい」とのさいとうの遺志に沿い、さいとう・プロダクションと脚本スタッフ、連載元の『ビッグコミック』編集部の協力体制で連載を継続させていくことがビッグコミック編集部から発表され、もう一つの連載作品である『鬼平犯科帳』も同年9月30日に連載の継続がリイド社公式サイトで発表された。


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漫画界において「劇画」の分野を確立した、さいとう・たかを。国籍・年齢・本名・すべてが不明の寡黙なスナイパーの活躍を描いた代表作『ゴルゴ13』は半世紀以上にわたって連載され、単行本200巻刊行は最も発行巻数が多い漫画としてギネス世界記録に認定された。東西冷戦をはじめ、テロや民族紛争など、作品には最新の国際情勢を常に取り入れ、谷垣禎一や麻生太郎といった政治家にも愛された。劇画界の代表的人物として君臨する一方、若くして「さいとう・プロダクション」を設立し、脚本や作画を各スタッフの分業体制によって制作する仕組みをいち早く確立。作品の世界観が古びることのないよう、そして万が一自身に何かあっても作品を発表できるようにと、徹底したポリシーを持ち続けた。亡くなる直前まで現役の劇画家として活躍したさいとう・たかをの墓は、東京都港区の梅窓院にある。墓には、感謝の「謝」とサイン、右側面に墓誌が刻む。戒名は「眺望院劇画和顔温徳隆光清居士」。

by oku-taka | 2022-11-13 11:38 | 漫画家 | Comments(0)