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細川隆一郎(1919~2009)

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細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう)

政治評論家
1919年(大正8年)〜2009年(平成21年)

1919年(大正8年)、福岡県小倉市(現在の北九州市)に生まれる。東京府立四中(現在の東京都立戸山高等学校)を経て、1942年(昭和17年)に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。9月、大阪毎日新聞社東京本社(後の毎日新聞社東京本社)に入社。しかし、10月に陸軍東部通信本部へ配属され、硫黄島へ出征する。1945年(昭和20年)9月1日、新聞記者として復職。以後、毎日新聞東京本社経済部、政治部記者として勤務。1963年(昭和38年)、神戸支局長に着任。1966年(昭和41年)、東京本社政治部長に就任。政界汚職粛正のため「日本政治への提言」を半年にわたり連載。これにより、1967年(昭和42年)日本新聞協会賞」を受賞。1968年(昭和43年)、東京本社編集局次長に就任。1970年(昭和45年)、中部本社編集局次長に就任。1973年(昭和48年)、 東京本社の編集顧問となる。年末、同社を定年退職。以後は政治評論家となる。1980年(昭和55年) 6月12日早朝、大平正芳首相の死去をいち早く文化放送の自らの番組内で伝えたことにより、文化放送社長賞を受賞。1980年代に入ると、『夕焼けニャンニャン』などテレビのバラエティ、クイズ番組に多数出演。タレントとして政治と関連の薄い分野でも活動した一方、毒舌の話術を生かし、ワイドショーにもコメンテーターとして出演した。1986年(昭和61年)、『岸信介伝』『政争・ニューリーダー論』の著書で第6回日本文芸大賞特別賞を受賞。同年、父の日にちなんで毎年日本で最も理想的お父さんを選ぶイエローリボン(ベストファーザー)賞を受賞。1988年(昭和63年)、日本きものコンサルタント協会より和装文化賞を贈られる。1996年(平成8年)6月11日からはタレントとして吉本興業に所属したこともあったが、2003年(平成15年) に脳梗塞を発症。発見が遅れたため左半身麻痺が残り、また元来からの持病であった黄斑変性が進行して失明した。頑固な性格のため、実際の症状で要介護認定が最高位にも関わらず、介護認定の面談で実際より重度でない事を告げ、かつ仕事を続けることを頑なに守ったため、娘の細川珠生が著作の口述筆記や一般紙の読み聞かせ等のサポートをした。2009年(平成21年)8月25日午後7時頃、老衰のため死去。享年90。


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ご意見番として、歯に衣着せぬ名調子を展開した細川隆一郎。熊本藩細川家の一族という家系に育ち、先祖に細川忠興・ガラシャ、明智光秀、叔父に政治評論家の細川隆元、遠縁に元首相の細川護煕という華麗なる家系の一人であった。そのためか、豪放磊落な性格、頑固者、毒舌家の傍若無人さ全開で、それがまたお茶の間にウケてしまった。一時期はバラエティーに引っ張りだこに近い状態であったが、そんな中で『EXテレビ』に出演した立川談志が、細川隆一郎の写真を指して「なんなのコイツ。嫌い」と生放送中で評していたのが妙に印象に残っている。良くも悪くも、毒舌家としてテレビ史に名を刻んだ細川隆一郎の墓は、東京都大田区の池上本門寺にある。墓には「細川家之墓」とあり、右側に墓誌が建つ。戒名は「泰仙院隆栄日俊居士」。

by oku-taka | 2022-10-29 04:28 | 評論家・運動家 | Comments(0)