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十代目・柳家小三治(1939~2021)

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十代目・柳家 小三治(やなぎや こさんじ)

落語家
1939年(昭和14年)〜2021年(令和3年)

1939年(昭和14年)、東京都新宿区に生まれる。本名は、本名は郡山 剛藏(こおりやま たけぞう)。父は小学校の校長を務めたことから、5人の子のうち唯一の男子ということもあって厳格に育てられる。テストでは常に満点を求められ、100点満点中95点を取ることすら許されなかった。その反発として遊芸、それも落語に熱中する。東京都立青山高等学校に進学後、ラジオ東京の『しろうと寄席』で15回連続合格を果たす。その当時はニキビ顔だったため、「年頃亭ニキ助」の高座名を名乗る。この頃から語り口は流麗で、かなりのネタ数を誇った。1958年(昭和33年)、東京都立青山高等学校を卒業。教員育成大学である東京学芸大学への入試に失敗し、学業を断念。落語家を志し、1959年(昭和34年)3月に五代目柳家小さんへ入門した。もともとは、六代目三遊亭圓生への弟子入りを考えていたが、門下の弟子たちがあまりにも圓生に似すぎており、ここに入ることは圓生のクローンとなるだけではないかと考え、弟子入りを辞めた。以後、五代目小さん門下で柳家のお家芸である滑稽噺を受け継ぎ活躍。前座名は「小たけ」とした。1963年(昭和38年)4月、二ツ目昇進し、さん治に改名。1969年(昭和44年)9月、17人抜きの抜擢で真打に昇進。十代目柳家小三治を襲名した。1976年(昭和51年)、放送演芸大賞を受賞。1979年(昭和54年)、落語協会理事に就任。1981年(昭和56年)、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。1991年(平成3年)、上野鈴本演芸場初席における主任(トリ)の座を師の五代目小さんから禅譲され、22年間維持した。1996年(平成8年)、『メリケン留学奮戦記』『ニューヨークひとりある記』『玉子かけ御飯』の随談CDをリリースし、評判となる。1998年(平成10年)には、まくらだけを集めた書籍『ま・く・ら』が大ヒットし、「マクラの小三治」のイメージが定着する。2004年(平成16年)、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2005年(平成17年)4月、紫綬褒章を受章。2009年(平成21年)、ドキュメンタリー映画『小三治』が公開。鈴本演芸場における声楽リサイタル「歌ま・く・ら」をはじめ、小三治の寄席への出演とその楽屋裏、地方巡業、家族とのプライベートな会話の様子などを通し、落語家としての精進や人柄を描き出していく一方、桂米朝、入船亭扇橋、立川志の輔などが、それぞれの観点から小三治について語った。2010年(平成22年)6月、落語協会会長に就任。在任中、落語家の昇進に関して一定の年数を務めると昇進できるとした通例から、実力を重視する方針を打ち出し、春風亭一之輔を21人抜きで真打ちに昇進させた。2014年(平成26年)、旭日小綬章を受章。同年6月、体調面の不安などから落語協会会長を勇退。顧問に就任した。同年10月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2015年(平成27年)、第56回毎日芸術賞を受賞。晩年はリウマチや糖尿病などの持病を抱えながら高座に上がり続け、2017年(平成29年)1月には寄席の高座で「アルツハイマーの疑いがあると言われた」と明かした。ネタを言い間違えたり言い淀むすることはなかったが、関係者によると物忘れがひどくなったため治療しているとした。8月、変形性頸椎症のため手術を受け、3週間休養。首の骨を並べ替える大手術だったが、9月の高座で復帰した。2021年(令和3年)3月、検査入院で腎機能の数値に問題があったとして、約1カ月間入院。退院後はリハビリと投薬治療を続け、5月に兵庫県で行われた落語会で復帰した。10月2日、府中の森芸術劇場で行われた落語会での「猫の皿」が生前最後の高座となった。その後は体調面の変化はなく普段通りに過ごしており、翌年まで各地で落語会の予定を入れていた。10月7日、普段通りに夕食を取り、入浴した後に自室で倒れているところを妻に発見され、病院に搬送されたが、20時に心不全のため死去。享年81。没後、従五位に叙された。


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身近な話題を語る「まくら」で人気を集め、「まくらの小三治」と呼ばれた十代目柳家小三治。師匠である五代目柳家小さんのお家芸である滑稽噺を受け継ぎ、飄々とした味わいと登場人物を巧みに演じ分ける卓越した人物描写で名人にまで上り詰め、落語界3人目となる人間国宝に認定された。また、多趣味としても知られ、バイク、スキー、ボウリング、俳句、オーディオ、麻雀、ゴルフ…と何事にも深くのめり込み、一時期は「趣味の人」として専門雑誌やメディアでよく見かける存在であった。昭和の名人からバトンを受け取り、本格的な古典落語で大きな足跡を残した柳家小三治の墓は、東京都新宿区の法雲寺にある。墓には「郡山家之墓」とあり、側面に墓誌が刻む。戒名は「昇道院釋剛優」。

by oku-taka | 2022-10-15 12:25 | 演芸人 | Comments(0)