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服部正(1908~2008)

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服部 正(はっとり ただし)

作曲家
1908年(明治41年)〜2008年(平成20年)

1908年(明治41年)、東京市神田区(現在の東京都千代田区)に生まれる。青山学院中等部を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。学生時代にはマンドリンクラブに所属していた。その後、三井生命保険に入社したが40日で退社。1930年(昭和5年)、「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」主催のマンドリンオーケストラ作曲コンクールで『叙情的風景』が入選。その後、菅原明朗に師事した。1932年(昭和7年)、帝国音楽学校の講師に就任。1933年(昭和8年)、『管弦楽のための組曲』を山田耕筰指揮・日本交響楽団演奏にてNHKより放送。1935年(昭和10年)、初のオペラ『雁の渡る日』をNHKより発表。1936年(昭和11年)、時事新報主催の音楽コンクールで三部作『旗』の一曲『西風に飜える旗』が二等入賞。同年末には青年日本交響楽団を創設し、終戦直後まで指揮した。1939年(昭和14年)、東邦音楽学校(現在の東邦音楽大学)校歌『東邦の歌』制定時、在職教員であった植村敏夫が作詞を、服部が作曲を担当した。1940年(昭和15年)、ビクターの専属作曲家となり、『次郎物語』や黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』などの映画音楽や放送音楽を担当した。一方、1946年(昭和21年)にラジオ体操第1の作曲を担当。動きの難解さに加えて放送時は音声でその動きを伝えるのが困難な為、全国への巡回指導が始まったものの、普及せず短期間で放送が終了。そのため、1951年(昭和26年)に改めて作曲を担当。「老若男女を問わず誰でもできることにポイントを置いた体操」であったことから、小学校から工場などの職場まで広く使われた。1953年(昭和28年)、国立音楽大学教授に就任。1954年(昭和29年)日本のラジオドラマ史上初めて大人の女性が子供の声を演じて歌った『ヤン坊ニン坊トン坊』(NHKラジオ第一)を作曲。1955年(昭和30年)、青少年のための国民オペラ『真間の手古奈』を作曲。同作は人気となり、公式記録だけでも200回の上演記録を誇る。1978年(昭和53年)、紫綬褒章を受章。1984年(昭和59年)には勲四等旭日小綬章を受章。2008年(平成20年)8月2日午前6時頃、老衰のため東京都渋谷区神宮前の自宅で死去。享年100。


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ラジオ体操第1の作曲者として知られる服部正。クラシック音楽の大衆化に力を注いだ一方で、様々なジャンルの音楽に挑戦。『向こう三軒両隣』や『ヤン坊ニン坊トン坊』といったラジオドラマから、『虎の尾を踏む男達』や『わが青春に悔なし』などの黒澤明監督作品など、大衆芸能の世界においても大きな功績を残した。また、江口浩司や小林亜星といったヒットメーカーを育てたことも特筆すべき点であろう。100歳の大往生を遂げた服部正の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。自然石の墓には「服部家墓」とあり、右側に墓誌が建つ。

by oku-taka | 2022-09-19 23:16 | 音楽家 | Comments(0)