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三ツ矢歌子(1936~2004)

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三ツ矢 歌子(みつや うたこ)

女優
1936年(昭和11年)〜2004年(平成16年)

1936年(昭和11年)、大阪府堺市東区に生まれる。本名は、小野田 宇汰子。プール学院高等学校在学中の1955年(昭和30年)、女友達が内緒で新東宝の新人募集に応募書類を送ったところ、合格。第4期スターレットとして入社し、。1956年(昭和31年)に『君ひとすじに』で銀幕デビューを果たす。以降、『何故彼女等はそうなったか』『女真珠王の復讐』、1957年に『海女の戦慄』『暁の非常線』、1958年(昭和33年)には『スーパージャイアンツ 宇宙艇と人工衛星の激突』『人喰海女』とコンスタントに映画への出演を続け、新東宝が倒産するまでに40作以上の映画に出演。池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれ、清純派女優の地位を築いた。1960年(昭和35年)、映画監督の小野田嘉幹と結婚。後に二男をもうける。新東宝倒産後はフリーとなり、活動の中心をテレビに移す。特に、1969年(昭和44年)からTBS系列局で放送されていたテレビドラマ「愛の劇場」シリーズでは、『女の絶唱』『新・女の絶唱』『人妻椿』『愛染椿』『妻と女の間』などでヒロインを演じ、必ず2桁の視聴率を獲得したことから「昼メロの女王」と呼ばれた。1992年(平成4年)にはワイドショー『独占!女の60分』の司会を務めた。また、「味の素」のテレビCMでお茶の間に親しまれ、1970年(昭和45年)の全日本CMフェスティバルタレント賞を受賞した。2001年(平成13年)、腰痛で病院に行ったところ肺癌が発覚。その後、入退院を繰り返し、手術後は車椅子での生活を余儀なくされた。 2003年(平成15年)1月、家族が相談の上、三ツ矢に癌であることを告知。本人はショックを受けるどころか「どうしても仕事復帰したい」と意欲を燃やし、抗がん剤治療などの闘病生活を送った。担当医も驚くほどの頑張りを見せたが、2004年(平成16年)3月11日午後1時頃に自宅で「息が苦しい」と訴えて都内の病院に緊急入院。酸素吸入や抗がん剤投与など懸命の治療が続けられたが、3月24日午後11時5分、間質性肺炎のため東京都港区の病院で死去。享年67。


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「昼メロの女王」と呼ばれ、後年は母親役を好演した三ツ矢歌子。新東宝時代は清楚を売りとし、テレビドラマ界に進出後は妖艶さも兼ね備え、ヒロイン女優として独特の地位を確立した。平成期以降は、息子の逮捕や闘病生活と様々な不幸に見舞われた三ツ矢歌子。67年という早すぎる生涯に幕を閉じた彼女の墓は、東京都八王子市の善能寺にある。墓には「南元阿弥陀佛 小野田家」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「演慈院釋尼妙歌」。

by oku-taka | 2022-03-21 23:50 | 俳優・女優 | Comments(0)