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大高ひさを(1916~1990)

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大高 ひさを(おおたか ひさを)

作詞家
1916年(大正5年)〜1990年(平成2年)

1916年(大正5年)、北海道小樽市に生まれる。本名は、大高 久男。幼少期に両親を亡くし、函館に住む伯父のもとで育てられる。函館市立東川小学校を経て、函館市立弥生小学校高等科に進学。この頃、雑誌『少年倶楽部』に投稿した詩が入選。担任がその才能を見抜き、彼を励まし続けた。1931年(昭和6年)、旧制北海道庁立函館工業学校機械科に入学。在学中の1931年(昭和8年)、作詩家としてキングレコードよりデビュー。1934年(昭和9年)3月、函館工業学校を卒業。6月、海軍航空技術工場に入り、機密兵器の設計を終戦まで担当する。海軍当局の許可を得て、1941年(昭和16年)11月に帝国蓄音器株式会社(現在のテイチクエンタテインメント)専属作詩家となる。1942年(昭和17年)4月、海軍航空技術工場の技術文官となる。1946年(昭和21年)6月、作詩活動のかたわら戦後初の歌謡専門誌「歌謡春秋」の編集者となり、10月には後進の指導と育成を目的とした同人誌「歌謡曲研究」を主宰した。1947年(昭和22年)、日本音楽著作家組合の設立に参加。同年、淡谷のり子に提供した『君忘れじのブルース』が初の大ヒット。以降、田端義夫『玄海ブルース』(1949年/昭和24年)、菅原都々子『江の島悲歌』『連絡船の唄』(ともに1951年/昭和26年)等の作品を発表1955年(昭和30年)には、アルジェリアを舞台としたエト邦枝の歌う『カスバの女』を発表。遠く離れた外国の酒場で働く女性の心情を歌ったこの作品は、後に多くの歌手にカヴァーされた。1961年(昭和36年)、石原裕次郎と牧村旬子のデュエット『銀座の恋の物語』がミリオンセラーの大ヒットを記録。1965年(昭和40年)、日本作詩家協会の設立に参加。1990年(平成2年)9月2日、東京都世田谷区松原の自宅で死去。享年74。


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テイチクレコードを黎明期から支えたヒットメーカー・大高ひさを。人間の悲哀をエレジーやブルースのメロディーに綴り、戦後の歌謡界に多くのヒット曲を放った。特に、菅原都々子を「エレジーの女王」と呼ばれるほどの人気歌手に押し上げた。また、アルジェリアを舞台にした『カスバの女』や、韓国歌謡を訳詞するなど、異国の歌を手がけることにも意欲的に取り組んだ。大高ひさをの墓は、神奈川県川崎市の春秋苑にある。洋型の墓には「母の墓」とあり、右横に大高ひさを自ら綴った詩の碑が建つ。

by oku-taka | 2022-01-31 23:43 | 音楽家 | Comments(0)