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阿部武雄(1902~1968)

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阿部 武雄(あべ たけお)

作曲家
1902年(明治35年)〜1968年(昭和43年)

1902年(明治35年)、山形県鶴岡市湯野浜に旅役者の息子として生まれる。しかし、生後間もなく両親は離別。再婚した母に伴われて横須賀に居を移したが、後に母が病死。そのため、祖父母と石巻に移住した。小学生であったが、町役場の給仕として働き、生活の辛酸を舐めた。苦学の末、東洋音楽学校に入学。ここで、ヴァイオリンを学び、卒業後は神戸オリエントホテルのバンドマンとして就職。10年程、楽士として各地を転々とする。1933年(昭和8年)、作詞家藤田まさとの紹介でポリドールに入社し、専属作曲家となる。8月、浅草〆香が歌う『雨の大川端』で作曲家デビュー。1934年(昭和9年)、東海林太郎の歌う『国境の町』が初のヒット。以降、『むらさき小唄』、上原敏の『流転』、『裏町人生』、『鴛鴦道中』なども手がけ、いずれも大ヒット。その後も、ポリドールの黄金期を支える作曲家として活躍した。戦後は、雑多・猥雑な生活に生きる逞しい庶民の活力を創作エネルギーに求め、愛用のヴァイオリンを片手に「流し演歌」の仕事を始める。大正期の街頭演歌を継承したそのスタイルで、銀座などを歩いて歌った。1968年(昭和43年)2月5日、死去。享年66。


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作詞家の藤田まさとと共に、戦前期において多くの流行歌を世に送り出し、ポリドールの黄金期を支えた阿部武雄。邦楽的技巧を用いた独特のメロディーは「アベタケメロディー」と呼ばれ、股旅歌謡というジャンルを築いた。戦後は流しの活動に注力した為に、メロディーメーカーとしては第一線から退く形となってしまった。しかし、没後に顕彰碑が建てられたり、伝記本が出されたりと、今なお懐メロファンからの人気は根強いようである。阿部武雄の墓は、神奈川県横浜市の最乗寺にある。五輪塔の墓には「阿部家」とあり、右側に墓誌が建つ。戒名は「至音院釋明武居士」。

by oku-taka | 2021-12-26 22:56 | 音楽家 | Comments(0)