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二瓶正也(1940~2021)

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二瓶 正也(にへい まさなり)

俳優
1940年(昭和15年)〜2021年(令和3年)

1940年(昭和15年)、東京府東京市麹町区永田町(現在の東京都千代田区永田町)に生まれる。本名は、二瓶 正典(にへい まさのり)。映画が好きであったことから、専修大学附属高等学校3年生時に俳優を志し、卒業後に東宝芸能学校の夜間部に入る。1960年(昭和35年)、東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く。1961年(昭和36年)、岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年(昭和37年)、『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演。宇宙パイロット役を演じるが、本格的な東宝特撮映画出演はこの1本に留まった。1963年(昭和38年)、若大将シリーズ『ハワイの若大将』で運動部のマネージャー江口役に抜擢。この役はシリーズを通して江原達怡が演じていたが、泳げないため海に落ちるシーンを嫌って降板した為、この作品のみ二瓶が演じた。1966年(昭和41年)、『ウルトラマン』で科学特捜隊のイデ隊員役に起用される。当初この役は石川進が務めており、撮影も始めていたが、スケジュールもしくは出演料が折り合わずにクランクイン2日のみで降板したため、前作『ウルトラQ』に3度出演していた二瓶が急遽配役された。コミカルで人間味豊かなキャラクターは高い人気を得て二瓶自身の代表作となった。その後も『マイティジャック』(1968年)、アニメ『ザ☆ウルトラマン』(1979年)では前述のイデ隊員を意識したトベ隊員の声を担当するなど、円谷プロダクション作品に出演することとなる。テレビドラマと並行して、引き続き東宝のクレージー映画等に出演していたが、1969年(昭和44年)に東宝を退社。フリーとなり、大きな身体とにぎやかな声を活かして『ぎんざナイトナイト』などのテレビ番組の司会やCMなどで幅広く活躍した。1990年代には不動産業等の実業家としての活動が中心となり、芸能活動は控えるようになった。しかし、1990年代半ばにはウルトラシリーズブームの再燃もあり、再び円谷プロダクション作品に顔を出すようになる。1997年(平成9年)には『総理と呼ばないで』(フジテレビ)で久々のドラマレギュラー出演を果たした。2005年(平成17年)、『ウルトラマンマックス』にダテ博士役でセミレギュラー出演。晩年はビルオーナーをしており、芸能関連の仕事はウルトラマン関係のイベントが多かった。しかし、若い頃からのヘビースモーカーが祟って2011年(平成23年)頃から肺気腫を患い、2018年(平成30年)頃には酸素チューブをつけて生活していた。2021年(令和3年)7月中旬に肺炎のため神奈川県鎌倉市の病院に救急搬送されて緊急入院。小康状態になり、8月15日に近所の病院へ転院したが、まもなく意識がなくなり、8月21日午前0時24分、誤嚥性肺炎のため死去。享年80。


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『ウルトラマン』のイデ隊員で知られる二瓶正也。ドイツ人の父を持ち、彫りの深い顔立ちと大柄な体格、それでいて裏腹とも言える柔和な笑顔が実に印象的であった。イデ隊員譲りのコミカルさと人柄の良さはお茶の間にも広く親しまれ、俳優のみならずバラエティ番組でも活躍。後年は第一線から退いていたが、特撮のイベントがあると顔を出してくれるという気さくな人柄は健在であった。屈託のない笑顔が懐かしく偲ばれる二瓶正也の墓は、神奈川県鎌倉市の材木座霊園にある。墓には「二瓶家」とあり、右側には墓誌が建つ。二瓶正也の名はないが、スーツアクターの古谷敏のTwitterによれば、彼の四十九日法要がこの墓地で行われたとのことなので、おそらく納骨は既に済んでいると思われる。

by oku-taka | 2021-11-07 18:10 | 俳優・女優 | Comments(0)