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水木かおる(1926~1998)

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水木 かおる(みずき かおる)

作詞家
1926年(大正15年)~1998年(平成10年)

1926年(大正15年)、東京府豊多摩郡(現在の東京都中野区)に生まれる。本名は、奥村 聖二。1947年(昭和22年)3月に旧制二松學舍専門学校(現在の二松学舎大学)を卒業。文芸通信社に入社する。1952年(昭和27年)、雑誌「平凡」とコロムビアが行なったコンクール課題曲募集に『女ごころの赤い鳥』(奈良光枝)が入選。同年、『サラリーマン節』(藤島恒夫・新橋喜代丸)で正式に作詞家としての道を歩む。1958年(昭和33年)、戦後しばらく歌の制作を中止していた日本グラモフォン(現在のポリドール)が流行歌制作を再開し、その際に専属作詞家として入社。1962年(昭和37年)、西田佐知子が歌った『アカシアの雨がやむとき』が2年越しで大ヒットとなり、この年の日本レコード大賞特別賞を受賞。以後、『霧笛が俺を呼んでいる』(赤木圭一郎)、『エリカの花散るとき』(西田佐知子)、『夕日の波止場』(及川三千代)、『赤い風船』(加藤登紀子)、『くちなしの花』(渡哲也)などをヒットさせる。1980年(昭和55年)には、牧村三枝子が歌った『みちづれ』が100万枚以上の売り上げを記録した。1981年(昭和56年)、フリーに転身。その後も『夫婦しぐれ』(小林幸子)、『二輪草』(川中美幸)とヒットを飛ばす。 1996年(平成8年)、日本レコード大賞功労賞を受賞。1998年(平成10年)7月4日、心筋梗塞のため神奈川県の藤沢市民病院で死去。享年71。


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花をテーマとした歌謡曲を多く作詞した水木かおる。藤原秀行とのコンビで日本ポリドールの後期を支えた後、中期には遠藤実と俳優・渡哲也のプロデュースを成功させるなど、決して目立つ存在ではなかったが歌謡界の黄金期を支える作詞家の一人であった。晩年、低迷期に喘ぐ平成の演歌界において、『二輪草』が100万枚を売り上げる大ヒットとなったが、レコード大賞の優秀作品賞に選ばれたことを知らずに急逝してしまったことは実に残念であった。水木かおるの墓は、神奈川県茅ケ崎市の上正寺にある。墓には「南無阿弥陀佛 奥村家」とあり、右側に墓誌が建つ。戒名は「善浄院釋真聖」。

by oku-taka | 2021-09-12 15:06 | 音楽家 | Comments(0)