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天津敏(1921~1979)

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天津 敏(あまつ びん)

俳優
1921年(大正10年)〜1979年(昭和54年)

1921年(大正10年)、宮城県桃生郡河南町(現在の石巻市)に生まれる。本名は、天都 敏(旧姓は佐藤)。両親および兄弟はすべて教員という一家に育ち、本人は歌と水泳が得意な少年だったという。宮城県師範学校を卒業後、教職に就く。戦時中は海兵団で少年兵の教官の職にあった。1944年(昭和19年)、結婚。婿養子となり、姓を天都とした。戦後、戦前と正反対の教育をすることはできないという理由で教職から離れ、鎌倉の夫人の実家の工場を手伝い、水道工事などの仕事をしていた。1953年(昭和28年)、東宝ニューフェイスとして映画界入り。東京映画制作の作品では端役ばかりだったが、1955年(昭和30年)にTBSのオーディションに合格し、テレビ黎明期の生放送時代劇に出演し始める。1959年(昭和34年)のテレビドラマ『豹の眼』を皮切りに、宣弘社制作のテレビ作品で主に悪役として活躍。忍者ブームを巻き起こしたテレビドラマ『隠密剣士』でも第1部から出演しているが、1963年(昭和38年)の第5部で演じた風魔小太郎が初の当たり役となった。1964年(昭和39年)には映画『忍者狩り』で演じた敵方の頭目・闇の蔵人が、映画『隠密剣士』を手がけたプロデューサー・俊藤浩滋や監督・マキノ雅弘の目に止まる。同年、『日本侠客伝』に出演。以降、東映やくざ映画や任侠映画に起用され始め、敵役としてなくてはならぬ常連の存在となる。アクション映画では、千葉真一の『激突! 殺人拳』(1974年)や志穂美悦子の『必殺女拳士』(1976年)などで主人公を追い詰める強敵・難敵を演じている。テレビでも悪役スターとして数多くの作品に出演し、『仮面の忍者 赤影』第1部・第2部(1967年)の甲賀幻妖斉、『水戸黄門』第5部(1974年)の鉄羅漢玄竜など、代表的な悪役・敵役を演じた。また、対照的に善人役では、映画『黒い画集 ある遭難』(1961年)の両脚を失った陽気な登山家、『喜劇 駅前弁当』(前同)の優しい駅員、『日本大侠客』(1966年)の主人公に協力的な博徒、『五人の賞金稼ぎ』(1969年)の一揆で直訴する百姓、テレビドラマ『快傑ハリマオ』第5部(1961年)でハリマオの仲間で正義感あふれる熱血漢・村雨五郎、『火の国に』(1976年)ではヒロインを陰に陽に支える好人物・長谷川社長など、悪役・敵役に留まらず幅広い役柄を演じた。1979年(昭和54年)6月、脳内出血に倒れる。7月24日、心不全のため神奈川県横浜市の横浜市立大学医学部附属病院で死去。享年58。


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強烈すぎるその個性で、稀代の名悪役として名を馳せた天津敏。人間的な要素が微塵もない、ただただ冷酷で無慈悲な悪役に徹し、演じ続けた約30年の役者人生。『隠密剣士』の風魔小太郎と『仮面の忍者 赤影』の甲賀幻妖斉で子供たちを震え上がらせ、東映の任侠映画では主役の鶴田浩二、高倉健、藤純子を相手に極悪非道っぷりを見せつけた。特に『水戸黄門』の鉄羅漢玄竜は、あの黄門に「化け物」と呼ばせた程の刺客を見事に演じ、強烈な印象を残した。朝ドラ『火の国に』で、ヒロインを陰に陽に支える長谷川社長を演じ、ようやく善人役の地位も築けるというその矢先に病で逝ってしまわれたのは実に残念であった。天津敏の墓は、神奈川県横須賀市の浄楽寺にある。洋型の墓には「天都家」とあり、背面に墓誌が刻む。戒名は「徳照院敏譽教道善士」。

by oku-taka | 2021-08-29 00:50 | 俳優・女優 | Comments(0)