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堀田善衛(1918~1998)

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堀田 善衛(ほった よしえ)

作家
1918年(大正7年)〜1998年(平成10年)

1918年(大正7年)、富山県高岡市に生まれる。生家は伏木港の廻船問屋であり、当時の北前船の日本海航路の重要な地点であったため、国際的な感覚を幼少時から養うことができた。1936年(昭和11年)、旧制金沢二中から慶應義塾大学政治科予科に進学。大学時代は詩を書き、雑誌『批評』に参加。詩と評論を発表し、その方面で知られるようになる。1940年(昭和15年)、文学部仏文科に移り、1942年(昭和17年)に卒業。1944年(昭和19年)に召集されたが、胸部疾患のため解除となり、1945年(昭和20年)3月に国際文化振興会が中国に置いていた上海資料室に赴任。現地で武田泰淳、石上玄一郎を知る。南京では草野心平を知り、『歴程』の同人となる。8月、現地日本語雑誌『新大陸』にエッセイ「上海・南京」を発表。敗戦後、中国国民党宣伝部に徴用され、上海現地の日文新聞『改造日報』に評論「希望について」を発表。12月に上海昆山路128号にあった中国国民党中央宣伝部対日文化工作委員会に留用され、現地日本語雑誌『新生』の編集と、現地中国語紙『中央日報』の対日輿論の翻訳を担当。1946年(昭和21年)6月、現地日本語雑誌『改造評論』に「反省と希望」を発表。1947年(昭和22年)12月まで留用生活を送り、12月28日にアメリカ軍の上陸用舟艇で引き揚げ。世界日報社に勤めるが、会社は1948年(昭和23年)末に解散する。この頃、雑誌『個性』『歴程』などに詩を発表し、アガサ・クリスティの『白昼の悪魔』など翻訳業も多く手がける。同年、処女作である連作小説『祖国喪失』の第1章「波の下」を発表し、本格的に作家生活を開始。1951年(昭和26年)、『中央公論』に「広場の孤独」を発表。同作で当年度下半期の芥川賞受賞。また、同時期に発表した短編小説「漢奸」も受賞作の対象となった。1953年(昭和28年)、国共内戦期の中国を舞台にした長編小説『歴史』を刊行。その後も、日中戦争初期の南京事件をテーマとした長編小説『時間』(1953年)や、『鬼無鬼島』(1956年)と長編問題作を発表する。1956年(昭和31年)、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問。この経験を『インドで考えたこと』にまとめる。これ以後、諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍した。また、その中での体験に基づいた作品も多く発表し、欧米中心主義とは異なる国際的な視野を持つ文学者として知られるようになった。1959年(昭和34年)、アジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に就任。日本評議会が中ソ対立の影響で瓦解した後、1974年(昭和49年)に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも初代の事務局長を務めた。また、「ベ平連」の発足の呼びかけ人でもあり[5]、脱走米兵を自宅に匿ったこともあった[6]。マルクス主義には賛同せず日本共産党などの党派左翼でもなかったが、政治的には戦後日本を代表する進歩派知識人であった。作家としても、『審判』(1960年~1963年)、『海鳴りの底から』(1960年~1961年)、『若き日の詩人たちの肖像』(1966年~1968年)、『橋上幻像』(1970年)と長編の創作を続け、1971年(昭和46年)には『方丈記私記』で毎日出版文化賞を受賞した。1977年(昭和52年)、フランシスコ・デ・ゴヤの評伝『ゴヤ』の連載を完結。同作で大佛次郎賞を受賞した後、スペインに居を構え、以後はスペインと日本とを往復する。1980年代後半からは、社会に関するエッセイである「同時代評」のシリーズを開始。同シリーズの執筆は堀田の死まで続けられ、没後に『天上大風』として1冊にまとめられた。1994年(平成6年)、『ミシェル城館の人』で和辻哲郎文化賞を受賞。1995年(平成7年)、朝日賞を受賞。1998年(平成10年)、「国際政治の問題点を浮き彫りにした活躍」が評価され、日本芸術院賞を受賞。晩年は逗子の高台の家で隠者のように暮していたが、体調を崩して神奈川県横浜市の病院へ入院。9月5日午前10時7分、脳梗塞のため死去。享年80。


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歴史への深い洞察に満ちた小説を多く発表した堀田善衛。「ゴヤ」「方丈記私記」「海鳴りの底から」など、乱世を生き抜いた人間を見つめた作品で「いちばん遅くやってきた戦後派」と称された。アニメーション監督の宮崎駿が最も敬愛する作家としてその名を挙げ、近年再評価の気運が高まっている堀田善衛の墓は、神奈川県鎌倉市の東慶寺にある。五輪塔の墓には何も刻まれておらず、入り口石柱に「堀田」、裏側に墓誌がある。

by oku-taka | 2021-06-14 00:15 | 文学者 | Comments(0)