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ジョー山中(1946~2011)

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ジョー 山中(じょー やまなか)

ミュージシャン
1946年(昭和21年)〜2011年(平成23年)

1946年(昭和21年)、神奈川県横浜市に生まれる。本名は、山中 明(やまなか あきら)。7人兄弟の中で唯一の混血児として生まれる。父親を「本当の父親は顔も名前も知らない。日本に進駐していたアメリカ軍の兵隊だったらしい(中略)おふくろは一時、黒人兵と暮らす。それでお腹に宿したのが俺だ」と後に語り、ソロ・アルバム『W's』の中村俊夫のライナーノーツでも父親を「アフリカ系アメリカ人」としている。小学生時代に母を亡くした上、自宅が火災で全焼。結核で2年間入院した後、約16歳まで養護施設を転々として育つ。中学校卒業後、自動車の修理工場に勤務。1962年(昭和37年)、腕っぷしの強さを聞きつけた金平正紀にスカウトされ上京し、金平ジムへ入門。リングネームは正紀による命名で城 アキラ。プロデビューは17歳で、ジムの意向によりライト級からフェザー級に転向するも、無茶な減量が祟り体調を崩して入院し、東日本新人王の準決勝を棄権している。通算成績は4勝1敗1KO。その後、ジムを離れ、1963年(昭和38年)、混血児をテーマにした映画『自動車泥棒』で安岡力也たちと共演。1966年(昭和41年)、 GSグループ「4・9・1(フォー・ナイン・エース)」に城 アキラの芸名で加入し、ボーカルを担当。しかし、1968年(昭和43年)に脱退。内田裕也の誘いに応じ、ロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」の結成にボーカルとして参加。キング・クリムゾンの『21st Century Schizoid Man』、ブラック・サバス『Black Sabbath』といったブリティッシュ・ロックを代表する名曲のカバーが収録されたファースト・アルバム『Anywhere』をリリース。また、「日野晧正クインテット」とロックとジャズのコラボシングル『クラッシュ』を発売した。1969年(昭和44年)、ブリティッシュ・ロックにオリエンタルなテイストを加え、独自のサウンドを確立したセカンドアルバム『SATORI』をリリース。1970年(昭和45年)、クニ河内と、フラワー・トラベリン・バンドのメンバーである石間秀樹とのコラボ作『切狂言』を「クニ河内とかれのともだち」名義で発表。同年、大阪万博で「ライトハウス」と共演。彼等に認められ、12月にはカナダに渡る。翌年には『SATORI』をアメリカ・カナダで同時発売し、カナダのチャートでは第1位を記録。トロントにて「エマーソン・レイク&パーマー」「ブルース・プロジェクト」と共演するなど、国際的に活躍した。しかし、1973年(昭和48年) 4月、京都公演を最後にバンドは解散。以後はソロに転じ、9月23日に渋谷西武劇場で初のソロコンサートを開催。芸名を「ジョー山中」とした。芸名のジョーは親交のあった画家・城景都がロックバンド活動をしていた頃にその名前を気に入り、自ら「城」と付けたことに由来する。1974年(昭和49年)にはアルバム『Joe』をリリース。1975年(昭和50年)、「クリーム」のプロデューサー、フェリックス・パッパラルディとバンドを結成。8月には、内田裕也が主催した「第1回ワールド・ロック・フェスティバル」に出演し、トリではジェフ・ベックとのセッションも行った。1976年(昭和51年)、「フラワー・トラべリン・バンド」時代の『Make Up』がCM曲に起用。シングルとして「Make Up」を発売し、ヒットとなる。1977年(昭和52年)、映画『人間の証明』に俳優として出演。主題歌『人間の証明のテーマ』も担当した。まもなく、大麻取締法違反容疑で逮捕され、『人間の証明のテーマ』はラジオでのオンエアが自粛されたが、映画のテレビCM曲として頻繁に流され、注目を集める。オリコンチャートでは最高2位、約51.7万のヒットで、累計売上はミリオンセラーに達した。1979年(昭和54年)、映画『戦国自衛隊』のサウンドトラック制作に参加。挿入曲『もうなくすものはない』『GOIN' HOME』を作詞・作曲し、エンディングテーマ『ララバイ・オブ・ユー』を含めた3曲を歌唱した。1980年(昭和55年)、映画『戒厳令の夜』で音楽監督を務める。また、ロックミュージカル『'80 ハムレット』に主演した。1981年(昭和56年)。劇場版アニメ『あしたのジョー2』でカーロス・リベラの声と、主題歌『あしたのジョー2のテーマ〜明日への叫び〜』、挿入歌『青春の終章(ピリオド)〜JOE…FOREVER〜』を担当。1982年(昭和57年)、ウェイラーズ・バンドとアルバム『レゲエ・バイブレーション1』を発表。その後『レゲエ・バイブレーション2』、『レゲエ・バイブレーション3』を発表し、レゲエミュージシャンとしても高い評価を得る。1989年(平成元年)、映画『座頭市』で敵方用心棒「車助左衛門」役として出演。「JOHNNY」名義で主題歌『The Loner』も担当した。1990年(平成2年)、ハリウッド映画『オリテリア・モーティブス』に出演。また、この頃からチャリティーやボランティアへの参加も活発になり、アジア・アフリカなど各国を訪問。その活動はライフワークとして終生続けられた。2001年(平成13年)6月、自伝『証 Akashi 永遠のシャウト』を発売。2007年(平成19年)、フラワー・トラベリン・バンドがオリジナル・メンバーによる再始動を発表し、翌年から活動を開始。再始動アルバム『We Are Here』をリリースし、また、日本、カナダ、アメリカでライヴを行なう。2010年(平成22年)2月、胸に痛みを感じ、検査の結果、肺癌が発覚。ステージ3と診断されたが、歌えなくなることを危ぶみ、手術はせず放射線治療と抗がん剤投与を受けていた。3月25日には、自らのホームページで治療中であることを公表。親交のあった千葉真一から「抗ガン剤はやめたほうがいい」と免疫療法を勧められたが、化学療法を始めていた。6月には退院し、自宅で療養。8月、山中を支援するライブが都内で行われ、自らも『スタンド・バイ・ミー』を披露した。9月6日、バーベキューの火の不始末から自宅全焼。山中と妻、長男、次男は逃げ出していたことから無事で、近隣への被害もなかったが、保管していた貴重な音源や写真などを焼失し、山中は大きなショックを受けた。2011年(平成23年)7月7日、容体が急変し、横須賀市内の病院に入院。それまでも入退院を繰り返す状態だったが、7月下旬には心肺停止状態に陥り、集中治療室に入った。8月7日午前6時56分、肺癌のため神奈川県横須賀市の病院で死去。享年64。


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映画『人間の証明』の主題歌で知られるジョー山中。3オクターヴの声を持ち、それを活かしたソウルフルな歌唱は多くのロックファンから支持された。特にフラワー・トラベリン・バンドの要は、ジョー山中の歌声であることは特筆すべき点である。一方、芸能界屈指の喧嘩王としても知られ、安岡力也をタイマンで半殺しにしたエピソードは有名である。痺れる程の美声だったシンガー・ジョー山中の墓は、神奈川県鎌倉市の材木座霊園にある。洋形の墓には「空の彼方から愛を…」のメッセージと共に墓誌が刻まれている。

Commented by やす at 2021-03-29 09:43 x
いつも拝見させていただいています。
私も、1年程前に伺ったジョー中山氏のお墓です。
行った時、ご遺族とも偶然お会いして少しお話をさせていただきました。
その時思ったのですが、ご遺族が望んでいるとは思えない、墓石の場所公開はどうかと思いますので、ご一考を。

関係ありませんが、志村さんのお墓は貴HPで行くことができました。ありがとうございます。
by oku-taka | 2021-03-14 23:11 | 音楽家 | Comments(1)