人気ブログランキング | 話題のタグを見る

横山隆一(1909~2001)

横山隆一(1909~2001)_f0368298_12474599.jpg

横山 隆一(よこやま りゅういち)

漫画家
1909年(明治42年)〜2001年(平成13年)

1909年(明治42年)、高知県高知市堺町に生まれる。高知県立高知城東中学校(現在の高知県立高知追手前高等学校)を卒業後の1927年(昭和2年)、彫刻家を目指して上京。東京美術学校を受験するが、2度にわたり失敗し、1928年(昭和3年)に川端画学校へ入学。また、郷里の先輩にあたる彫刻家・本山白雲に入門した。その間、アメリカの雑誌に掲載されたナンセンス漫画に惹かれて、『アサヒグラフ』『新青年』『月刊マンガ・マン』などに漫画を投稿。やがて本山から漫画家への転身をすすめられて堤寒三を紹介され、堤の門下に転じる。また、北澤楽天が横山の漫画に惚れ込み、時事新報社の自身の部屋に横山を招き、面会をしている。この経験は横山に自信を与えた。1931年(昭和6年)、雑誌『新青年』に表紙画、挿絵、漫画が採用されるようになる。この頃、『月刊マンガ・マン』の寄稿者だった近藤日出造や杉浦幸雄らと知り合う。昭和初期の漫画界は、文壇・画壇をもじって「漫画壇」とも呼ばれ、新聞や雑誌は少数のベテランが独占しているような状態で、横山ら若手はプロとしての発表の場がなかなか得られなかった。そこで、横山・近藤・杉浦の3人を中心に「漫画市場に若手が結束して売り込もう」「殴り込みをかける」といった意見が高まり、1932年(昭和7年)に「新漫画派集団」の結成に至る。同集団はナンセンス漫画をマスコミ各紙誌に売り込むことで漫画界の主流となり、特に横山は、線を大胆に簡略化した絵と奇抜な発想で「新漫画派集団」の中では最初に名が売れていった。1936年(昭和11年)1月、『朝日新聞』に『江戸ッ子健ちゃん』を連載。しかし、大人しく生真面目な主人公の健ちゃんより、腕白で無鉄砲な脇役のフクちゃんが人気となり、同年10月より『養子のフクちゃん』としてスタート。これによりフクちゃんブームがおこり、1938年(昭和13年)には第1回児童文化賞を受賞した。戦時中は、自身の作品『フクちゃん』が日本海軍のプロパガンダとしてアニメーション映画化された一方、敵国である米軍の宣伝ビラ『落下傘ニュース』にも無断で使用された。横山自身は陸軍報道班員としてジャワへ派遣された。1945年(昭和20年)10月、連絡のとれた26名の漫画家たちとともに「新漫画派集団」を「漫画集団」に改組し、新進の漫画家を多く世に出すことに貢献。1947年(昭和22年)には、戦時中に途絶えていた鎌倉カーニバルに漫画家仲間と参加し、復活を後押しした。漫画家としても、『ぺ子ちゃん』(毎日新聞)や『デンスケ』(毎日新聞)を発表。代表作となった『フクちゃん』も、1956年(昭和31年)から約15年にわたって『毎日新聞』に連載。日本漫画史上最長である5534回の連載記録を達成した。また、「おとぎプロ」を設立してアニメーション映画も製作。1957年(昭和32年)、『ふくすけ』で第8回ブルーリボン賞特別賞と第12回毎日映画コンクール教育文化映画賞を受賞した。1961年(昭和36年)には、日本初のテレビアニメシリーズ『インスタントヒストリー』を発表した。1966年(昭和41年)、まんが集『勇気』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。1974年(昭和49年)、紫綬褒章を受章。1979年(昭和54年)、まんが集『百馬鹿』で日本漫画家協会漫画大賞を受賞。1982年(昭和57年)、勲四等旭日小綬章を受章。1992年(平成4年)、日本の漫画文化に貢献した業績が認められ、第21回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。1994年(平成6年)には漫画家として初の文化功労者に選出された。2001年(平成13年)11月8日午前1時4分、脳梗塞のため神奈川県鎌倉市内の湘南鎌倉総合病院で死去。享年92。翌年に郷里の高知県で「横山隆一記念まんが館」が開館することが決定していたが、開館を待たずに亡くなった。


横山隆一(1909~2001)_f0368298_12474595.jpg

横山隆一(1909~2001)_f0368298_12474570.jpg

新聞連載漫画『フクちゃん』で知られる横山隆一。1936年のスタート以来、戦前戦後を通じての連載はおよそ35年間続けられ、その回数は5534回に及んだ。日本の漫画史上最長の連載記録を達成したその裏で、横山の人生は遊び心に溢れていた。戦時中「フクちゃん」を降伏宣伝ビラに使用した米軍に、戦後50年の時に洒落で掲載料を請求したところ原稿料180円が支払われたこと、1000点を超える珍コレクションを所持し、日本縦断を徒歩でしたときの植村直己の足のタコ、川端康成の胆石、歴代警視総監の指紋を収集する癖、原稿の締め切りが近くなるほど趣味の鉄道模型にのめり込むなど、面白がり精神に大変長けていた。「遊びも仕事も楽しくやるのが一番」をモットーに生きた横山隆一の墓は、神奈川県鎌倉市の光明寺にある。墓は「横山」と彫られた岩石で出来ており、右側に墓誌が建つ。戒名は「隆誉悠楽描心居士」。

by oku-taka | 2021-02-06 12:51 | 漫画家 | Comments(0)